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大学の授業での地質巡検の思い出

大学時代、地質学の授業の科目の中に「地質調査法実習」というものがありました。近場のフィールドでルートマップを描いてみたり、有名な露頭を観察する地質巡検をおこなったり、街中の建築物に使われている石材を観察したり、昔起こった大地震の爪痕を観察したり、時には泊まり込みで調査や巡検にも行きました。

野外での実習は教室での座学とは違って、苦労や多少の危険は伴いますが、実際に地層や岩石を見ながら、あるいは小さな露頭で観察した結果を繋ぎ合わせながら、頭と体を使って地誌を解明する面白さが実感できて、私にとっては楽しみな授業でした。

実習で学んだことはすぐに先輩や仲間たちと行うグループ研究に活かされ、また、そこで先輩たちからさらに細かい指導を受けて、やがて一人でも地質調査をおこなえる技術を身に着けていきました。

当時、フィールドへの移動は学生が運転する車を何台か連ねていくことがほとんどでした。みんな前の車を見失わないように連なっていくことが多いので、先頭車がうっかりスピードを出しすぎると、後続車もまとめてスピード違反で切符を切られることもありました。

お金が無い学生が多かったものですから、罰金を運転手の学生だけに負わせるのは気の毒だとみんなで負担しあうこともありました。

2年生の終わりごろには2年生全員参加で大巡検が行われました。私たちの代は、福島、茨城、埼玉と車でまわり、最後は船に乗って三宅島と1週間近くかけて巡検を行いました。

以前記事にした山中地溝帯や三宅島もこの時の巡検で訪れています。

巡検では時々失敗やら、面白いことが起こります。

この大巡検の時には、茨城県から移動して来て埼玉県に入る前に一度すべての車が集合してガソリンなどを補給した後、宿泊予定の埼玉県秩父地方の小鹿野町の宿の場所がわかりにくいということで、いったん小鹿野町のランドマークに集合しようということになりました。

「それでは次は小鹿野駅前で集合ね」と言ってそれぞれの車に乗り込み出発しました。

みんな普段は地質調査で地形図は読み慣れているはずなのに、この時ばかりはだれも地図をよく確認していなかったのですね。

カーナビなどない時代ですから、出発してから各車のナビ担当の学生が地図を見て困ってしまいました。小鹿野町には鉄道路線はなく駅もなかったのですから。

私たちは小鹿野の街の中で右往左往する羽目になりました。携帯も無い時代ですから各車と連絡もつきません。

街中で立ち往生していると、一台また一台と右往左往する仲間の車たちが通りがかり、そのたびに手を振って呼び止め、なんとかみんな集合することができました。

大巡検は目的地ごとに担当者を決めて、巡検案内書などを作って準備していたのですが、ちょっと詰めが甘かったのと、大巡検も中盤にさしかかりみんなが油断していました。

今となっては懐かしくも楽しい思い出です。

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