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散歩しながら考えていた事。

桜まつりが終わったのとほぼ同時に地元の桜は一気に花弁が散って葉桜になった。

桜の見頃に合わせて、こちらがまつりを開催しているようでいて、実のところ桜側が人の立てた予定に合わせて咲き方を調整していたようにも思えてくる。

というより実際そうなのかもしれない。

人のどんちゃん騒ぎと『酒供養』を聞きながら、

発泡酒と屋台の香りを吸い込みながら、

深夜になって人の帰り足が増えていくのを感じながら、そろそろいいかなって一気に脱力して散っていくイメージ。

皆知らないところで頑張っている。と思うと、

雨に濡れてべしゃべしゃになった泥だらけの花びらを踏んで歩くのも、何となくためらってしまう。

そうやって視線を落とし気味に散歩していると、

水仙も蒲公英(タンポポ)も菜の花も

桜が咲く前から咲いていたのに、今でも最盛期の花をつけていたので驚いた。

(敷地の都合上、近くで撮れたのはタンポポの写真のみ)

菜の花はともかく

水仙ってこんなに咲いてるものだったっけ。と一瞬足を止めた。

花には全然詳しくない。

アスファルトを突き破って出てくるのだから蒲公英はやっぱり強いんだろう。

『花』 はそれ一文字で桜を表す季語で

(かつては梅が主役だったようだが)

だから春は桜の独壇場になりがちだけれど

そんな事は知ったこっちゃないって感じで咲いている雰囲気が、桜以外の花は強いような気がする。

花同士は主婦のように井戸端会議をすると聞いた事があるし

だから花同士の意地の張り合いも当然あると思っている。

「アイツよりは長く咲いてやろう」みたいな。

そんな意地の張り合いがあるとすれば

損得勘定もきっとあるだろう。

「あの家の庭は荒れ放題だから関わらないようにしましょう」とか

「あの家の奥様に育てられれば私ももっと綺麗でいられたのに」とか。

そういう思考もありそうだ。

・・・まあ、

実際そんな泥沼見たくはないけど(汗)


あれやこれや考えながら

爽やかな気候の町を歩く。

ここ最近は空が綺麗なので

積極的に歩きたくなる。

住宅の敷地に咲いている芝桜も

家主のこだわりがうかがえる配色だと、見ていて楽しくなるし

鬼門の方角に南天の樹を植えている家を見かけると、

古風な感じがしていいなって思う。

(南天=「難を転じる」の意)

そういうさりげないこだわりは好きだけれど

如何せん自分で育ててみようとまでは思えないので。

他人様の敷地を覗いて楽しんでいるという。

この雑っぷり。


葉桜が茂って

程なく湿った海風が吹くようになったので、

農家も次々と田圃に水を張り始めた。

燕も子育てのために戻ってきたから、

6月上旬には子燕が飛ぶ練習を始めているだろう。

(これが毎年6月の風景)

そういう平和な営みが

令和の時代も続いていけばいいな。

性格上、社会の急激な変化にはついていけないけれど

それでも人間的に、着実に成長できますように。

そういえば、

願い事って完了形ですると叶いやすいらしい。

だとしたら。

画力がメキメキと上がりました。

仕事のスピードが今の倍になりました。

noteの更新頻度が増えました。

コンスタントに仕事ができるようになりました。

体力と筋力がついて健康になりました。

会計ソフトをサクサク使いこなせるようになりました。

単行本に重版がかかりました。

ダウンロードコンテンツの売り上げが5倍になりました。

原稿料が上がりました。

年収が上がりました。

ファンが増えました。

美肌になりました。

自炊のレパートリーが増えました。

良いとこのPCと周辺機器が手に入りました。

太いパイプ(人脈)が手に入りました。

ーー

とりあえずこれくらいかな。

…。

自分では自分の事もう少し謙虚な人間だと思ってたのに。

なんという欲深。

令和ではもう少し貪欲になってみてもいいのかもしれない。

けどまあ、そもそも土台となる体力がないので

気負わずにいこうと思います。

写真ももうちょっと上手く撮れるようになりたいなー。

眠いけど、仕事やるかー

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