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「THE EXORCIST」神様って本当にいるんですか?

「ヴァチカンのエクソシスト」、もうみました?ラッセル・クロウが悪魔祓い…ベスパに乗って移動するちょっとでっぷりなおじさん神父、キャッチーすぎますよね。めちゃくちゃ面白かったです。

悪魔祓いおじさん


これについてはまた別で感想書きたいんですが、やっぱり悪魔祓いってテンション上がるんですよね。十字架持って、聖書読んで、聖水かけて戦う。セーラームーンみてる時と同じようなテンション。
そんな感じでみれるのは、私が日本人で、キリスト教徒じゃないからかもしれないですね。私はむしろキリスト教が嫌いなので、全部エンタメとして消化できる状態なんだと思います。かといって信仰心を持っている人を否定する気もないので、むしろ一緒にみにいって感想を聞きながらお酒飲みたい。当事者感があってすごく怖いんじゃないかな。

今朝「THE EXORCIST」リバイバル上映があったのでみてきました。
席に座ると隣がかなり若めのカップルで、多分女の子の方は初視聴だったのかな。デートにエクソシストって大丈夫?十字架でファックしたりするけど…と思いながらハラペーニョホットドック食べていたら上映開始。結構人いました。やっぱり名作は一度は劇場でみておきたい人、いっぱいいるよね。

真っ赤な文字で画面にデカデカと表示される「THE EXORCIST」のタイトル。
「これがみたかった…!」と胸を震わせてみていたらイラク遺跡発掘のシーンへ。
ここでメリン神父が初登場、悪魔「パズズ」の像と対峙し、近い未来の戦いを予感するめちゃくちゃかっこいいシーンがあります。

パズズ像と対峙するメリン神父

パズズ」は、メソポタミア界隈のアッカドに伝わるバビロニア伝説・伝承の中に登場する風と熱風の魔神であり悪霊である。さらには、悪霊の王であるとされる。
風と熱風が運ぶ熱病もたらす者として、恐れられ、崇拝の対象とされた。

【映画】エクソシスト〜パズズとは何者か。

この悪魔に取り憑かれたリーガンがあんなことやこんなことになってしまったせいで、公開当時ショックで気を失った観客にワーナーブラザーズが訴えられたりしたんですよね。怖すぎて公開も制限させれた国があったり、本当にとんでもない作品です。
でもこの作品があったからこそホラー映画が人々に浸透・娯楽として容認されていった側面もあるらしいので、今私たちがホラー映画を幅広く楽しめるのもこういった作品たちのおかげなのかもしれません。

そもそも公開が制限されるくらいの問題作がここまでヒットし、オカルトブームが巻き起こったのは、公開当時の世情不安も相まったと言われています。

1974年7月に公開された「エクソシスト」は前評判通りの大ヒットとなり、年間興行成績の首位を獲得。当時の日本はベストセラー「ノストラダムスの大予言」「日本沈没」の映像化によるパニック映画ブーム、ユリ・ゲラーのスプーン曲げがきっかけの超能力ブーム、中岡俊哉著「恐怖の心霊写真集」やTV「あなたの知らない世界」から始まる心霊ブームがほぼ同時に発生。そこに、オイルショックによる高度成長の終焉と、トイレットペーパー騒動や狂乱物価、さらには年300回を超える光化学スモッグ発生に見られる公害の影響が重なる。第二次ベビーブームの真っ只中、それらが引き起こす深刻な世相不安が「エクソシスト」のヒットと一大オカルトブームを大きく牽引したと言えよう。

【「エクソシスト」評論】いまだ色褪せない魅力を放つホラー映画の到達点

要するに世の中もう色んなことがありすぎて大変、先行きも暗い、という不安をホラーへの恐怖に置き換えることが負の感情を消化させることに役立ったということなんでしょう。

世界大戦を勝ち抜いたアメリカですが、技術面で日本やドイツに劣っていた米国の工業製品は市場から締め出され、不況が到来。結果犯罪が横行するようになった、という歴史的背景があります。アメリカは銃社会だから犯罪もレベルが違う…怖いね。お金もないし政治には期待できずいつ隣人に襲われるかわからない、そりゃ神様も信じれなくなりますよって話です。

そしてエクソシストは一言で言うと、「神を信じられなくなった人々が再び信仰心を取り戻す話」です。

主人公の一人であるデミアン・カラス神父は神父という身でありながら神への信仰心を失いつつある複雑なキャラクターで、リーガンへの悪魔祓いについても最初は拒否反応を示し精神医学の分野で対処しようとします。

実際に「精神医学で、信仰の悩みは解決されない。職業や生き方の悩み。私には無理だ。もう辞めたい。信仰さえ消えた」と恩師に打ち明けるシーンがありますね。

この超自然現象と医学の対立という構図は「エミリーローズ」という映画のテーマでもありました。
少女の奇行が果たして悪魔によるものだったのか、病気だったのか、そしてその対応に問題はなかったかが裁判になる映画です。神父は「あれは悪魔の所業だから悪魔祓いでしか対処できなかった」と主張し、医師側は「治療を続けていれば治ったはずだ」と主張しています。

エミリーローズ

エミリーには「ネロ」「ユダ」「カイン」「ルシファー」「ベリアル」「レギオン」6体の悪魔が取り憑いていた設定でした。ちなみにこの映画は実際の「アンネリーゼ・ミシェル事件」という事件を元に作られていて、そこでは「ベリアル」と「レギオン」の代わりに「ヒトラー」「フライシュマン」が取り憑いていると発言したそうです。悪魔祓いには悪魔に自分の名前を言わせる、という過程があるので判明したんでしょう。

これは私の個人的な考えなんですが、そもそも悪魔の名前が外国名に偏っていることや、聖書に出てくる人物が多いこと、本人の脳の中にある知識だけで完結してることに違和感があります。(本当に超自然的な現象ならそういう偏りなさそう)
また、手や足が勝手に動いてしまうことや汚言症などは、チック症という現実にある病気にも当てはまったりしますし、幻覚や幻聴に関しては統合失調症の併発ということも考えられるんじゃないかなーと。もちろん専門家じゃないので、素人考えでなんとなく思っていることです。

とはいっても世の中には不思議なことがたくさんあるので全ての超自然現象を完全に否定することはしないですが(そもそも否定してたらつまらない!)「神」「悪魔」という偶像は信じてはいないです。それに当てはまる「何か」はあるかも。

でもエクソシストは次元が違います。物をぶん投げたり、緑のゲロ吐いたり、ベットごと浮いちゃったりしますから。これはもう悪魔祓い一択です。

リーガンの体に浮き出た「help me」の文字を見たり、音声を収録したテープを聞いたことで悪魔憑きの可能性を徐々に感じ始めたカラス神父。とはいってもまだ完全に信じてはいないので、まだ半分「悪魔祓いという行為そのものが何かしらの影響を与えて、症状の改善に繋がるかもしれない」くらいの気持ちだったんじゃないかと思います。

そしてデミアンがリーガンへ悪魔祓いの許可をバチカンに申請し、派遣された悪魔祓いの主任がイラクでパズズ像と既に対峙していたあのメリン神父です。

有名なシーン。
監督フリードキンがレンブラントの絵画を参考に撮影したシーンだそうです。

ついに大御所が来たかと感じさせるこのシーン、本当に大好き!
悪魔祓いの直前にして未だ精神科医としての姿勢を崩さず、自分の見解を述べようとするデミアンに「見解は一つだ」と一蹴するメリン神父。
勝利を分けるのは信仰の強さのみだ、と感じさせるセリフです。

悪魔祓いの最中、様々な超常現象を目の当たりにして呆然とするデミアンに対してもとても冷静で、経験の豊富さとなんとしてもリーガンを救うんだという強い意志を感じます。マジでかっこいい。
悪魔に翻弄されて取り乱してしまったデミアンをメリンは一度部屋から出るように促します。不安や悲しみに取り憑かれた人間は悪魔の格好の餌食だからです。

「死ぬのですか」

リーガンの母親はデミアンに問いかけます。次の瞬間デミアンの表情が変わり、
一人の人間としてただ少女の命を救うんだ、という本質的な目的を思い出し部屋へ戻る決意を固めます。
しかしここでドアを開けると一番の心の支えになっていたメリン神父が亡くなっているんですね。エクソシストの持ち味の一つに「展開の早さ」と「感情の振れ幅の大きさ」があると思うんですが、ここでもそれが上手く作用してますね。

デミアンはリーガン(悪魔)を思わず殴りつけます。「俺の中に入ってみろ!」
と叫んで、ここもう聖書とか関係ないですね。悪魔への怒りと少女を救うことで頭がいっぱいになっています。
そして悪魔はデミアンに取り憑き、リーガンを殺そうとしますがここで自我を取り戻し身を投げることで、自らの死を持って悪魔を祓うことに成功しました。
完全にキリスト教の教えである自己犠牲の愛を実行する訳です。

ちなみにこの後瀕死のデミアンに親友のダイアー神父が告解(天国に行くための最後の儀式みたいなもの)をおこなっていますが、このダイアー神父演じるウィリアム・オマリーさんは俳優さんではなく実際の神父さんで、演技経験がなく悲しさを表現しきれていないのを見かねたフリードキン監督が彼をぶん殴った後、その悲痛の表情を良しとしてカメラを回したという裏話があります。とんでもない野郎です。

ウィリアム・フリードキン監督はデミアンの驚きの表情を撮りたいが為に真後ろでショットガン撃ったり、リーガンの母親が吹き飛ばされるシーンで後遺症を残すほどの怪我をさせたりと鬼畜悪評エピソードがたくさんある監督です。ドキュメンタリー出身の監督ということもあって、演技ではなく人のリアルなリアクションこそが作品に説得力を感じさせるという考えの人だったみたいですね。

有名なテーマ曲「チューブラー・ベルズ」はマイク・オールドフィールドという当時無名の作曲家の曲なんですが、最初は「燃えよドラゴン」などの楽曲を手掛けたラロシフリンという作曲家の曲が使われる予定だったのだとか。
それをフリードキンが「こんなもの使えるか!」と破棄し、たまたま耳にした「チューブラー・ベルズ」を起用したというエピソードもあるそうです。
大手の映画制作会社の社運をかけた作品で無名の作曲家の曲を起用するって結構すごい話ですが、地位とか名声とか関係なく自分が良いと思ったものを使うという姿勢を崩さないのは良いですよね。それくらい作品に対して妥協がなかったんでしょう。(にしても一連の流れに人へのリスペクトが欠けててひでー話です)

つい先月亡くなってしまいましたが、友人とそれについてDMでやり取りしていた際に「フリードキンRIP…いやHELLですね!」みたいなこと言ってて思わず一人で笑っちゃいました。地獄、落ちてない?

今月は同監督作品の「恐怖の報酬」がリバイバル上映されます。こちらもとんでも作品なのでぜひ劇場でみたいですね!やっぱり音響が違うと臨場感がとんでもないし作品の深みも全然違います。家でみてても心臓爆発しそうになったけど映画館でみたらどうなっちゃうんだろー...

ちなみに隣のカップルは悪魔祓いのシーンでポップコーンをいきなり爆食し始めたり(怖かったのかな)、女の子が名シーン全てにビビってて可愛かったです。







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