続けた先に思うこと、とこれから 01


映像を作る人になろう、と決めてから17年くらい経ちました。

高校の美術の先生に映画を観せてもらったことがきっかけ。デヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」を授業で観させられるという、今思えばかなり尖った先生だったと思います。その先生は清志郎の葬式のために突然授業休んだり、色彩構成のテーマとして「はっぴいえんど」の曲を聴かせてくるような人でした。

なぜ映像って分野を選んだかっていうと、「時間を視覚的に操作できる唯一の表現」だと思ったから。前述した「マルホランドドライブ」はまさにそういう内容の映画だったし、訳がわからないのにものすごく不気味でかっこよくて、映画を観てはじめて胸を撃ち抜かれたような衝撃を受けたのです。

マルホランド・ドライブ / デヴィッド・リンチ

生き物にとっての時間って絶対で、一方向にしか進まないものなのにそれに抗える芸術って一番宇宙的じゃないですか。最高なんですよ。
とにかくカウンターカルチャー好きの自分にはめちゃくちゃしっくりくる表現手法でした。

で、美大の映像学科に受かって通うことになりました。
新歓イベントがあったんですが、そこで「VJ」という存在を初めて知り、のめり込んでいきました。
音楽も大好きだった自分にとっては、音をリアルタイムで視覚化する映像表現もめちゃくちゃ魅力的だったんです。
大学の授業はそこそこに、クラブイベントに足繁く通ってVJさせてもらう日々が始まりました。

ソロでも活動していたけど、ユニットを組んだりもしていた

VJには色んな形があるので一概に言えないんですが、
私がやっていた手法は芸術表現というより職人寄りで、とにかく現場で手を動かし続けてかっこいい感じで場を盛り上げる、どちらかというと照明さんに近いような感じでした。渋谷を中心に中目黒、秋葉原、新木場、色んなところを駆け回ってました。

それで、今思うと若かったからなんとかなってただけだなと思うんですが、続けていくうちにオーガナイザーに上手いように使われたり、8時間映像出し続けてるのに交通費すらもらえなかったり、交通費くださいって言ったら生意気だとかでめちゃくちゃ怒られたりだとか、お酒に酔って絡まれることも多いし、いつもとんでもない二日酔いで大学にいるから作る作品も中途半端で、なんかもう嫌だなと思うことが増えていきました。もちろん、リスペクトを持って接してくれた人達もたくさんいたんですけどね。(当時は本当にありがとうございました)
それでもうVJをやめてしまおう、というかもう映像なんてやりたくねーよ!なんて自暴自棄になっていたときにBOMBORIと出会いました。

BOMBORI

BOMBORIは通っていた美大のメンバーで構成されたバンドで、みんなそれぞれものすごい知識と美学、技術を持っていた人たちの集まりだったので
音楽に留まらない表現、それこそ映像の分野までバンド活動として受け入れてくれる体勢でした。みんな音楽以外にも色々作品を作っていたし、分野もバラバラだったけど好きなものは似ていたように思います。
吉祥寺のWARPで行われたHEAVY DIGというイベントに呼ばれてVJをし、その後正式にメンバーとして加入しました。

ドラマーの銀河は素晴らしい絵を描くアーティストで、私は0から何かを作り出す力がなかったので、銀河の絵を素材に映像を作ったり、世界観をみんなで構築していきました。演奏に合わせた演出に関しては自信があったのでそれは任せてもらえて楽しかったです。

みんなで行ったフランスツアーは色々あって私の精神状態がどん底だったんですが、なんかその分めちゃくちゃ良いVJしてたように思います。(その昔、GAUZEのHIKOさんが体調が悪いときほど良いドラムが叩ける…と言ったとか言わないとか)
フランスの人たちは芸術や政治に対しての関心がめちゃくちゃ高いので、ライブが終わったあとすぐに駆け寄ってきてVJに対しての熱い感想を言ってくれたり、「CDじゃなくてレコードはないのか?!」って詰め寄ってきたり。現地のラジオに出させてもらったりもしました。

フランスで対バンしたバンドと

そしてフランスツアーも無事に終わり、日本でもDORAVIDEOさんとかによくしてもらったり、コツコツ活動を続けていたらフジロックのルーキー出演の話が来ました。ルーキーアゴーゴーの文字の前に手作りの大きいスクリーンと3台のプロジェクター構えて、なめんなよと思いながら設営してた気がします。

レポートに「ライブはよかったけどもう二度と呼ばれないだろう」と書かれた

若さゆえというか、うちらの出番最後だからいーっしょみたいな感じで終了時間を過ぎてもメンバーがドラム叩き続けてたら主催の大人達にちゃんとめちゃくちゃ怒られましたね。多分VJの位置が舞台袖だったから一番私に言いやすかったんだと思いますが、あまりにも言われるから「私じゃ止められないです!!」って叫んだの覚えてます。

そしてしばらくしてギターとシンセ担当のフクシーが脱退。本当にバンドって不思議なもんで、みんなが同じ方向を向いてるときは何も言わなくても通じ合えるんですけど、一人違う方向向くと簡単に解けちゃう。奇跡なんだなって改めて思いました。
フクシーがいなくなったBOMBORIは自分の中では全く別物だったので(それでなくても変化し続けるものだと思うけど)、この音楽だったらVJは必要ないんじゃないかと思い私も脱退。しばらくしてBOMBORIは解散しました。

BOMBORIという拠点を失った後もVJを定期的に続けていたんですが、既にVJ活動の形や意義が自分の中で変わってしまっていて、クラブVJはもう続けられないな…と思っていたところ、ラッパーのKMCと出会いました。

つづく

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