愛にできることはまだあるかい

RADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」(映画:天気の子 主題歌)を聴いていて、考えたことがありました。

その前に曲の感想を少し話そうかな。

優しさで包まれるような曲調で、この世界に対する、野田さんの問いかけが詰まったような歌でした。つまり良い曲ってことです。


ここから考えたことについて。

歌詞の一節に、

「諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に どこで息を吸う」

(Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/ai-ni-dekiru-koto-wa-mada-aru-kai/)

というのがありました。

これに身近な例えをするのであれば、会社に勤めている人が分かりやすいかな?と。理不尽なことや、何かおかしいと感じることが多い社会で、「仕方ないんだよ、それが社会ってもんだから。」で片付けようとする諦めたひと。

そんな理不尽なことがある社会に上手く対応している賢いひと。

勝者っていうのは、どちらもいまの時代だと会社から切り捨てられないことの暗示かな…使いようがいいから。

そんなおかしい社会の空気感に息苦しさを感じているひとは多いはず。

と私は解釈しました。


この一節にこれだけの思いが詰められるのは彼の語術のセンスなんだと思います。


何故、理不尽な世界を肯定的でも否定的でも受け止めるひとがいるのだろうか。

ひとつ考えたのは生存戦略である、と。

自然摂理のもとで弱肉強食が昔からあり、弱いものは淘汰されていくのが当たり前であった。

環境に上手く適応してきたものが生き残ってきた。それが進化なのか退化なのか分からないけど。

だからこんな世界でも適応しなくてはいけない。

いまの世界でも言えることではないだろうか。情報弱者が貧困から抜け出せず子供を作ることに積極的になれないのは。

そんな仕組みのままだと人口減少は止められないし、どんどん自分の首を自分で絞めることに繋がっていく。


なんてことを考えていたら梅雨空の隙間から青空が見えていました。

綺麗ですね。

愛にできることはまだあるかい?

どうやらありそうですね。

終わり。


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