「世の中を変えるより、自分を変えよう」

「世の中を変えるより、自分を変えよう」

という趣旨のスローガンをときどきみかける。しかしこれは、構造的におかしくはないか?

まず、誰がそれを言っているのか、ということ。

A「きみ、世の中を変えようと思ってるようだが、自分を変えたほうが良いぜ」B「そうだな、納得した。じゃあ自分を変えることにしよう・・・」

たとえば、ここで、AはBの考えを変えようとしている、つまり他人の考えを変えようとしているのではないか?

とすると、他人を変えようとしているAの行動は、多少なりとも世の中を変えようとしていることになる。自分を変えたほうが良いのなら、他人はおいて、自分だけそうすればよいので、そんなことをする必要はないじゃないか。だから、そういう発言をしているAの行動は、自分が言っていることと矛盾している。

ここで、いくつかの解釈が成り立ちそうである。すなわち、

1.Aは自分の言っていることをよく分かっていない。
2.Aの言っていることは実は言葉そのままの意味ではない。

他にもあるかな(各自検討してほしい)。ひょっとすると、両立することもあるかもしれない。2番目の解釈で書き直してみると、Aの言っていることは、正しくはこのようになるのではないか。

A 内心の声:(「世の中を変えるより、自分を変えよう」と思う人が増えるといいいなあ。)
A「きみ、世の中を変えようと思ってるようだが、自分を変えたほうが良いぜ」B「そうだな、納得した。じゃあ自分を変えることにしよう・・・」

要するに、他の人に世の中を変えて欲しくないとAは考えているのだ。

なぜAがそう考えているのか、理由はあるだろうが、おそらく世の中が変わらないほうがAにとって都合が良いという事実が基本にあることは確実だろう。問題は、Bにとってはそのことが都合が良いとは必ずしも限らないことである。

A「きみ、世の中を変えようと思ってるようだが、自分を変えたほうが良いぜ」B「そうだな、納得した。じゃあ自分を変えることにしよう・・・」
結果として、世の中は変わらなかった。
A 内心の声:(世の中は変わらず、自分にとっては望ましい状況が続くなあ。良いことだ。)
B 内心の声:(世の中は変わらず、自分にとっては不利な状況が続くけれども、自分が変わってしまえば不利と思わなくなるから大丈夫……なはずだ……)

ここでAの発言は「ずるく」はないだろうか? 世の中、つまり自分の外に何か問題があるかもしれない。Aにとってはそのままのほうが都合がよいが、Bにとっては、ひょっとしたらそうではないかもしれない。Aはそういった自分の外の問題を、内心の問題にすり替えて、本当の論点をぼかしたままBを説得しようとしている、もっといえば丸め込もうとしているのではないか。

さらに言えば、AはBの立場を考慮していない。Aにとっては都合がよいが、Bにとってそれがそうでないかもしれないということを全く考えていない。そういう点を隠してAの価値観を押しつけようとしているという意味では、Aは無責任にBを操ろうとしているともいえる。

こういったAのような発言は「ポジショントーク」と呼ばれる。自分の立場に都合のよいことを、そのことを隠して一般論として語ることである(和製英語であるが、英語では「バンドワゴン効果」などがある。いずれにしてもプロパガンダ技術の一つである)。

いずれにせよ、単純なスローガンが全ての場合に成立することはあまりない。立場や状況によって変化することを十分に考えたほうが良いだろう。