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確かに存在していた時を思い出して、

直近のことで忙しいからなのか、たった1年半前くらいの出来事すら本当に起こっていたのか不安になるくらい、記憶というものが断片的で驚く。

「いやいや、大袈裟でしょ」
と横槍をディーン元気選手のように入れてくる人もいるだろうが、
大袈裟でもなんでもない。
もちろん今までの記憶がないとかそんなことではないし、別に昔のことを語れと言われたら出来ないこともない。
ただ、保証がないのだ。ただそれだけ。

そんな曖昧かつよくわからない記憶であっても、
いや、曖昧だからこそか。
ふと思い出してしまう記憶がある。
その記憶の対象は大抵、人だ。
この記事ではふと思い出してしまう”その人”のことについて書こうと思う。

いやいや、「なにこいつ、きも。」みたいな顔で記事から抜けようとしないでくれ。
恐らく君にも同じような記憶があるはずだ。
だから、少しばかりお付き合い願いたい。

その人


単刀直入に言おう。
僕は”その人”のことが好きだった。
まぁこれから話すことは僕の好きだった人についてになるな。
。。。
いや、まぁごめん。僕が仮にこの種のnoteを見てしまったらたしかに一旦抜けようとするだろう。
だけど、まぁ別になんとかして読んでもらいたいという気合があってこのnoteを続けている訳ではないので止めはしないが、
どうか僕の見えないところでグチグチするのだけはやめてくれないだろうか。
頼む、この種の話をしてそういう風なオチになるのは辛いんだ。

”その人”とはある音声配信アプリで出会った。
うぉ、なんとイマドキ。
出会ったと言っても最初はお互いの配信にリスナーとして参加していたということなんだけど。
ちょうど2年前の10月くらいに初めて”その人”の配信に参加したと思う。
音声配信って不思議なもので、声のトーンや話し方、言葉遣い、話すテーマで、どんな人なのかという推論の骨組みが大体出来上がる。
初めて聞いて、恐らく同世代だろうなと感じた。

ちょうどその年の12月くらいだろうか、その音声配信内でコラボ配信という機能が追加された。
これを皮切りに”その人”とは計4回ほどコラボ配信という形でコミュニケーションを取った。
しかも実際に話してみてびっくり、1回の配信で4~5時間ほどの尺なのだ。
こんなに飽きずにお話できる人に僕は出会ったことがなかったのでとても驚いた。

最初の僕の推論は的を得ていて、”その人”は大学生で学年でいうと僕の1つ上だった。
しかし”その人”が早生まれということもあり、生まれた年は一緒。
まぁ端折って言えば人生の同期だ。
加えてお互いの地元が近いというのもあって、その人に対する印象が深まったのを覚えている。


1回目の出会い

当時僕らが20歳の時だ。
まぁその時の僕と今の僕は根本的には変わってはいないが、20歳の好奇心というのは大変恐ろしい。
コラボ配信の2回目を終えた際に僕から、「もしご都合よろしければ、ぜひお会いしてご飯でも行きませんか?」
と”その人”宛てにメッセージを送った。
「ゆうて音声配信アプリ内で仲良くなっただけだ、これでもし叶わなかったとしてもそんなにダメージはないだろう。」
メッセージを送った直後この文言を何十回自分に言い聞かせただろうか。

”その人”から返信があり、「ぜひ!」
ということで、予定を立てた。
僕らは新宿駅に待ち合わせをした。いやぁ、アプリ内で出会った人と新宿駅。イマドキですな。

音声配信というので、どんな人かの推論の骨格は立てれはしても、実際の姿を見て全くもって推論が違っていたというのはアプリ常連の皆さんなら理解しやすい話だろう。
正直新宿駅で待っているとき怖かった。
「あんな綺麗な声して、いかにも女性な感じだったのに、ゴリゴリのマッチョがきて変なbarに連れてかれたらどうしよ。」
そんなことを思いながら数分間待っていた。

しかしそんな畏怖は全くもって必要なかった。
初めて顔を交えた”その人”はゴリゴリのマッチョじゃなく、とても綺麗な女性だった。
しかも身長が同じという。(僕が小さいだけか。追記163㎝)
お互い約10時間ほどお喋りしていた仲である、姿を拝見しただけ動じることなく目的地のオムライス屋さんまでコラボ配信かのように楽しくお喋りをしながら向かった。
ほんで緊張していたからか、僕が直前にパンを食べていたのもあり全くお腹が空いてないという、出会い系アプリの相手だったら地獄みたいな状況になってしまった。
それを正直に言うと”その人”は、「え!笑、じゃあちょっと遠回りして喋りながら歩きますか!」と素敵な返答をしてくれた。
もしかしたら、ここで僕は”その人”のことをすごく好意的に思ったのかもしれない。(ちょろいなおい、)
オムライス屋さんでオムライスを食べ終えた僕らは空のお皿をそのままに、2時間ほどお喋りをしていた。
一体どれだけ喋るんだ。まぁ9割は僕が喋っていたんだけど。

これが初めて”その人”とお会いしたときの一部始終。
僕自身、こんなに気軽に自分を解放できる時間を過ごせる同世代の人は珍しかったからとても楽しかったし、とても貴重な人だなと感じていた。
向こうはどう思っていたのかは知らないけど。

2回目の出会い

”その人”と2回目に会った時は、僕の学校帰りになぜか千葉駅で待ち合わせした。(学校から千葉駅めっちゃ遠いからね)
お互い歌をうたうのが好きで、各々の配信でも歌をうたう配信が多かった。
そして”その人”の歌声がキレイで素敵なんだ。ほんとに。
千葉駅で待ち合わせた僕らは駅近くのカラオケ館に向かった。
そこで2~3時間カラオケした。
採点機能を入れてカラオケしていたのだけれど、僕が如何せん苦手過ぎて。
自分でうまく歌えたなって思っても全然点数低かったり。
対照的に”その人”は90点代。(ちなみに精密採点DXなんでだいぶすごい。)
僕自身、周りからうまいねっていわれて育ってきたので、ショックを隠せなかった。
するとあからさまに泣きそうになっている僕に”その人”が、
「じまさん(そう呼ばれていた)の歌声ってカラオケの点数じゃ測れないような魅力があって素敵なんだよね。なんか夜にピッタリな感じ。
じまさんが配信内でたまにする鼻歌がすごく好きで。
カラオケとか周りからどうかとかじゃなく、じまさんにはこれからも歌い続けていてほしいな」
と言ってくれた。
まぁ隣の奴がしょぼんとしていると残りのカラオケの時間が勿体無いからという側面も大いにあり得る。
しかし、本気でショックだった当時の僕にとってはこの言葉に助けられた。
今も歌うのが好きだしね。
カラオケを終えた僕らは近くの喫茶店にいき、コーヒーを飲みながら卒業後のお互いの進路のことや今後どうなっていくのかといった如何にもな若者トークを2時間ほどしていた。

3回目の出会い

3回目に”その人”と会ったのは、2人で映画を見に行った時だ。
「ウエストサイドストーリー」が実写映画化されたということで見に行ったのか、はたまたその時期にそれ以外面白い映画が上映されていなかったからなのか、
なぜ「ウエストサイドストーリー」だったのかはわからないが、御徒町の映画館に向かった。
その日は2月だったのでかなり寒かったのを覚えている。
映画館内で僕らはかなり大きめのポップコーンセットを買った。塩味とキャラメルの両方が楽しめるやつ。
それを持って部屋に入り映画を鑑賞していた。
しかしお互い気を使っていたのか、ポップコーンが全然減らずに映画が終わってしまった。
なぜ映画館はポップコーン持ち帰りが出来ないのだろうか。罪悪感に駆られながら僕たちは映画館を出た。
そして近くの喫茶店にいきコーヒーを飲みながら映画の感想含めて2時間ほどお喋りをした。
映画も見て喫茶店で時間を潰したこともあり、辺りはすっかり東京の明かりが目立つような時間になっていた。
喋りながら上野駅を向かってる途中に僕が、
「コンビニでアイス買ってアイス食べません?ほら、真冬に食べるアイスが一番美味しいっていうじゃないですか!」
と使い古された文言を用いて提示した。
なんかこのまま解散するのが嫌だったのだろう。もっと一緒の時間を過ごしたかったのかもしれない。
すると”その人”は、
「いやそれ温かい家の中での話でしょ。笑
でも全然いいよ!」
と言ってくれたので、僕らはコンビニに向かった。
やけに冷たすぎるアイスをもって僕らは上野駅前の歩道橋に登り、歩道橋の上で明るすぎる街をみながらアイスを食べた。
この時だけ、今までの1回目や2回目、そしてさっきまでの喫茶店のようにお喋りを繰り広げることなく黙々とアイスを食べていたのが振り返ると不思議でたまらない。
アイスを食べきった僕らは特に映画みたいなイベントが起こるわけでもなく、解散した。
これが”その人”との最後の出会いだった。

ふと思い出してしまう記憶を作り続けたい。

まぁこんな細かく書くことかね。全く。
でも1年半経った今でも”その人”と出会った3回はふと思い出してしまう。
もちろんこの3回の間に音声配信アプリ内でコミュニケーションは取っていた。
あ、あなたが気になっているのはそこじゃないって?
あー、その後の話ですか。
”その人”とは、連絡の頻度が少なくなっていったんです。
って言っても、理由が何なのかは僕はわかりませんけどね。
最初は連絡してからの返信の時差が大きいことに戸惑いを隠せなかったが、「まぁしょうがない。向こうには向こうの事情があるし。それに僕が一方的に好意を持っているだけであって、向こうも同じような思いであるわけがない。そりゃ好きでもない人との連絡なんていくら友達だとしてもそんなに多くは取りたくないだろう」
そう言い聞かせていた。

”その人”はその年の教師採用試験を受験していて、その試験が終わったという連絡を頂いた。お互いの予定を調整してまたどこか行けないか模索したが、返信の時差が、仲良く会っていた時みたいに戻るわけでもなく。。。
それでも次に会う予定の摺り合わせは出来ていたのだが、
「〇月の△日はご都合いかがでしょうか。」と僕が送ったメッセージの返信が〇月△日を過ぎてから来た時に僕は思った。
恐らく僕の推論は大きく外れていない。これは僕の一方的な片想いだ。
向こうがあまり乗り気ではないんじゃないかと思い、こちらから連絡するのは控えるようになった。
もちろん、”その人”が直接そのようなことを言ったわけではない。
これは僕が勝手に盛り上がって、勝手に解釈しただけに過ぎない。
ほんのちょこっとのもしかしたらで、”その人”も楽しいと思っていたのかもしれないし返信の時差や頻度だけで判断出来るものではないから僕があまりにも独断過ぎるのではないかという意見は十分に理解できる。
しかし、好きな人というのが自分に関心がないということを現実的に受け入れるしかないかもしれない状況において、そんなに冷静にいれなかったのだ。

相手の真意がどういうものなのかを探る情報を求めて、「もしご都合良かったら、電話しませんか?」
というメッセージを送ってみた。
僕の立てた推論がどのくらい外れているのかというのを把握したかったからだ。
しかしそれは叶わなかった。
返信の時差が立て続けに起こり、当時の僕からしたらそれらの行為があからさま過ぎると感じれた。
そこで僕は、
「お忙しいのはわかるのですが、連絡が途絶えてしまって立てた予定が流れるとか、さすがにひどすぎませんか?
もし何か理由があるなら言ってください。無断で予定を流すのはやめてください。
どういう意図でやっているのかわかりませんが、都合がよすぎます。
勘違いしてませんか?」
というメッセージを送ってしまった。
かなり強いメッセージだった。こんなメッセージを誰かに送ったことなんてなかったし、こんなに他人に対して強く感情が出ることも珍しかった。

”その人”から返信が来た。
「そんなふうに思わせてしまってストレスになっていたら申し訳ない。
もし関わらない方がストレスフリーになるならきっぱり連絡をやめます。ごめんなさい。」
もちろんやり取りの詳細をコピペで書いているわけじゃない。大まかな趣旨を書いている。
そんな公開処刑的なことをするわけがないだろう。

そしてこれ以降”その人”とは連絡を取ることはなくなった。


それからちょうど1年。
日常の中のふとした瞬間に、”その人”との時間を思い出す。
恐らくもう”その人”に連絡を取れる手段はない。
だけど確かにあの時の時間は楽しかったし、今でも”その人”が憎いなんてことは1mmも思っていない。
むしろ素敵な時間をいただけたことを感謝している。
加えて”その人”が今も元気で暮らしていてくれればいいなと心から思っている。

こんな長ったらしい感じになるとは思わなかった。
でもこれを読んでいるあなたにも、ふと思い出してしまう記憶ってあるだろう?
それは別に好きだった人でなくてもいいんだ。
物とか時間でもいい。

過去の体験を尊んで生きようみたいなオチではない。
僕はこれからももうちょっと人生の時間を過ごすし、
”その人”も同じだろう。
その時間の中で新たな出会いや経験を積んでいくことになる。
プルーストの「失われた時を求めて」という作品のように、
これからの時間、厳密に言うと1日1日の瞬間瞬間の一挙手一投足が僕を形成していくんだ。
流れゆく日々の瞬間に没入して過ごすことが大事なんだと思って生きていきたい。
そしてこれからも続いていく日々の中に、ほんのふとした時に思い出せるよな記憶を僕はこれからも作り続けていきたいんだ。

というオチ。

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