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結婚式に呼ばないでほしい話

結婚式に呼ばないでほしい。

たい焼きだったら大当たりだと思ってしまうほど、頭からしっぽまで丸ごと「しんどい」が詰まっているからだ。

これから、僕が思う「結婚式のしんどい」をただただ記していく。

結婚式を良いものだと思っている人にとっては、不愉快な内容になると思われるので、早々に離脱してほしい。

○祝儀にまつわる謎マナー

一部地域を除いて、だいたいの結婚式では、友人や同僚が渡す祝儀の相場は3万円だという。

ここで、

「はいはい、祝儀が高いという文句ね」

と思う人もいるだろうが、言いたいことはちょっと違う。

確かに3万円は高いし、馬鹿じゃないのかと思っている。
でも、

「3万!高い!」

と条件反射のように思っているわけではない。

「いろいろ理由を付けて3万円を払うことを『常識』としているけれど、これってかなり無理があるだろ(そして高い)」

と思っているのだ。

そもそも、なぜ3万円なのかというと、

偶数は割り切れるため、別れを想起させて縁起が悪いから

だそうだ。

……祝福として贈るお金が?偶数だから縁起が悪い?
縁起とかよりも、まずその発想の趣味が悪いのだ。

「『偶数=割り切れる=別れ』だ!これは縁起が悪いぞぉ」

↑何なのだろうかこの思考回路は。これを考えたやつはいったい何者なんだ。

この際、3万円も偶数だろ、みたいな野暮なことは言わない。お札の枚数で数えるんだもんね(それはそれでわけわかんないけれど)。

釈然としないのが、
参加者の合計人数が偶数になることに関してはまったく無頓着
な点だ。

「お金をきれいに二分できたら縁起が悪いから」ということで、奇数にさせているのではないのか。

参列者の数が偶数だったら、奇数✕偶数で合計が偶数万円になるだろうが。

どれだけ個々の参加者が気を使って偶数を避けようとも、最も重要な合計額が偶数だったらまるで意味がないのだ。

もう、マナーとして扱うには、無理がありすぎなのである。

もし、

「『きれいに二分できたら縁起が悪い』とかではなく、偶数という数字自体を避けた方がいい」

というのだとしたら、
もうジューンブライドとかいって6月に結婚式をすること自体を見直す必要が出てくる。

6月に建物の2階で式を挙げている人への祝儀に対して、

「偶数は別れがぁ」

じゃないのである。

新郎新婦はチャペルの2階から腕組んで降りてきているけれど、その階段の段数だって偶数かもしれない。

しかも、

キリの良い10万円や末広がりの8万円は偶数でもOK

という、知られざるマナーまであるらしい。

あまりにも簡単に偶数が許可されてしまった。ここで完全に崩壊である。

もう素直に、

「偶数はダメとか言っちゃったけれど、相場より多いなら別です。ごめんなさい」

と言えよ。

だいたい、“キリの良い10万円”とはどういうことか。
「○万円」の時点で、1万円や2万円でも、全部キリがいいだろう。

そして、“8万円が末広がり”も、随分と都合がいいポジティブ思考だ。
夫婦間で嘘八百を並べて、八方塞がりにならないようにせいぜい注意してほしいもんである。

挙句の果てには、「相場より多いなら何でもOKというわけではない」とばかりに、

9万円は『苦』を想起させるからダメ

と、突然奇数を否定してきやがる。

いやいや、「永久の『きゅう』」とか「くちづけの『く』」とか、いくらでもいけるだろうが。

9は「苦」を想起する……その思考が一番不謹慎である。
「キリの良い10万」や「末広がりの8」を打ち出したあのポジティブさはどこに置いてきたのか。

しかも、祝儀の包み方にまでいろいろ注文がついてくる。
新札じゃないとダメとか、袋がどうとか、折り方とか……
もううるさいうるさい。うるさいのだ。

これはいったい誰が考えたのだろうか。
有識者が集って、会議でも開いて決めたのだろうか。

「8は偶数だけど、末広がりでよしとしましよう」
「ああ、それは名案だ。さすがですなぁ」

みたいに?
なんだよそれ。帰れよもう。

○式の内容

次に、結婚式や披露宴の中身である。

参列者は、平日の辛い労働を乗り越えて、やっと休日を楽しむのである。
そのつかの間の休日を犠牲にして参列する催しの内容が、どう転んでもしんどすぎるのだ。

あくまで一般的なメニューを以下に示してみる。

・プロフィールムービー
新郎新婦の成長過程や馴れ初めを紹介するのだが、見れたもんじゃない。
知り合いの馴れ初めなんてまるで興味がない。

人の恋愛模様というのは、「芸能人でギリ見られるもの」だと思っている。
知り合いのそれなんて、シンプルに気持ちが悪いのだ。

・ファーストバイト
僕が子どもの頃に親戚の披露宴に出た時には、初めての共同作業で「ケーキ入刀」をしていたのだが、今は「ファーストバイト(ケーキを食べさせあう)」が流行っているとか。

いい大人が「あ〜ん」してケーキを食べさせあっている姿なんて、胸やけがしてたまらんのだ。

↓これくらい豪快に「あ〜ん」をしてくれるならぜひ参列させていただきたいのだが、その望みも薄いだろう。


・両親に感謝の手紙
もしかしたら、これが一番しんどいかもしれない。
手紙は人前で音読するもんではないだろう。

他人に聞かれることを前提に書いた手紙なんて、本来の手紙ではないのだ。

むず痒くて仕方がないから、家でやってくれ。

・引き出物
いらない。それに尽きる。
「大勢を呼んで結婚式をしたい」と思うような人が選ぶ品なんて、絶対に自分の趣味と合わないのだ。

カタログギフトならまだありがたいが、かさばるからQRコードにしてペラ一枚で渡してほしい。

他にも、「知らん人のスピーチ」とか「誓いのキッス」とか「お色直し」とか「友人からのサプライズ」とか、数多のしんどいものが挙げられるが、広辞苑くらいの分厚さのnoteになってしまうので、ここらへんでやめておく。

こういうことを鑑みると、やはり祝儀に3万円は高い。
たとえそれが唯一無二の親友のものであってもだ。完全なる他人である「職場の同僚」なんて、以てのほかだ。

本人たちも「呼ばないと角が立つから」と招待しているのだろうが、たかが会社の同僚くらいの関係性で、そんな迷惑な催しに呼ぶなという話である。

身も蓋もない話であるが、そもそも
他人の結婚なんて、3万円と貴重な休日を犠牲にするほどめでたくはない。

「そんなに嫌なら行かなきゃいいだろ」

と言われるのはわかっているし、実際行かない。

でも、「断る」という行為にはそれなりに労力がいるものなのだ。

大前提として、世間には「冠婚葬祭に出ないやつは非常識」という、根強い意識がある(結婚式自体が、非常識の塊みたいなイベントのくせに)。

普段から、 

「社会人として〇〇すべき」

という言葉で、色々なマナーが作られて外堀が埋められているのはわかっているだろう。
そのうえで、「嫌なら行かなきゃいい」はちょっと苦しいのではないか。

行かないにしても、「まーた断らにゃならんのか」というストレスをゼロにすることはできないのだ。

「いやいや、お前のためにやっているわけじゃなくて、お世話になった人への感謝を伝えるイベントなんだよ。3万円の元を取ろうとしているのがおかしい」

という声もあるだろうが、じゃあ尚更、金を取るなという話だ。

「お世話になったみなさん!結婚しました!休日に来て3万払ってください!」

↑どういう理論だよ。

たまに、結婚を控える人に対して、先に式を挙げた知り合いが

「うまくやれば祝儀で披露宴にかかった代金の元が取れる。黒字になるかも」

とアドバイスしている光景を見かけるが、なんて下品なのだろうか。お世話になった人への感謝を伝えるイベントだったんじゃないのかよ。

「元を取ろうとしているのがおかしい」という言葉は、そっくりそのまま熨斗をつけてお返ししてやる。祝儀だけに。

……とまあ、このように、醜い文句が源泉のように湧き出てきてしまうので、くれぐれも私を結婚式に呼ばないでいただきたい。


でも、3万円くらい何とも思わないくらい知り合いの結婚を心から喜べて、花嫁のウエディングドレス姿の美しさに心から感動し、両親への感謝の手紙を聞いて真珠のような涙を流し、帰り道にしみじみと「良い式だったなぁ」と呟く。
そんな人間になれていたら、もっと生きやすかったんだろうな、とは思っていたりもするのだけれど。

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