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「人付き合いをしない自由」の話

いちねんせいになったら 
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにん できるかな

小学生になる直前(またはなった直後)に習うこの歌。
歌詞も曲調も明るくキャッチーで、幼少期に習う歌にぴったりなのではないだろうか。

ただ、それと同時に、とても罪深い歌であるとも感じる。

なぜなら、これを幼少期に習うことによって、「友達は多い方がいい」という価値観
が、成長の過程で当たり前のように刷り込まれていくからだ。

「陽」か「陰」かでいったら圧倒的に「陰」で、できればあまり他人と関わらずに生きていきたいと思っている僕だが、小・中学生の頃はわりかし友達が多かった。

もしかしたら、幼少期に刷り込まれた「たくさんの友達と過ごすことが最も尊い」という考え方を、健気に信じてきたからなのかもしれない。

ところが、大人になるにつれて、自分にはその生き方があまり向いていないということに気付いたからなのだろうか。
成長とともに、何となく一人で過ごすことが多くなっていった。

今では、友達と呼べる人はごく少数で、会うのも数ヶ月、数年に一度くらいなもん。
職場の人と飲みに行くなんてもってのほかだ。

もちろん、数少ない友達と過ごしている時はとても楽しい。ただ、頻繁に会おうとは思わないのである。

おそらく、この「人付き合いが少ない生活」が、今後も大きく変わることはないだろう。

誰が言ったのかは覚えていないが、こんな言葉を聞いたことがある。

「人の価値は、死んだときにわかる。葬式の参列者の数だ」

この考え方に当てはめると、僕は人間としての価値が非常に低いということになる。

でも、僕自身はまったくそんなことは思っていない。
友達の数なんて、単なる「ライフスタイルの違い」でしかないからだ。

人には向き不向きがあるし、好きなものは人それぞれ違う。

たくさんの友達と過ごすことに喜びを感じる人がいれば、そう思わない人もいる。

多くの人と繋がりを持つような仕事に就いている人がいれば、一人で黙々と作業をする仕事をしている人もいる。

そりゃあ、葬式に来る人の数も変わるだろう。
どっちがえらいとかいうわけでもないのだ。

しかしどうしても、友達が多い人や、仕事でたくさんの繋がりがある人の方が、それが少ない人よりも
「幸せである」
「人としての価値が上である」
という考え方が、広く浸透しているように思える。

そして、その考え方を「少ない側」の人間も受け入れてしまっているのだ。

「自分なんか友達が少ないですから。スイヤセン…」

と、先手で自虐を繰り出すことによって、あらかじめ身を守るような光景もよく見かける。

この
「友達が多い方が良い」
「人付き合いをしないやつは劣っている」
という価値観のせいで、世の中に無駄な苦しみが生まれている気がしてならないのだ。

まず、勘違いしてはならないのが、
「友達が少ない」のと、「人間関係を構築できない」ことや「コミュニケーションが取れない」ことは、全く別物である
ということだ。

知り合いが多かったり、率先して飲み会を主催したりするようなキャラであっても、自分の話をしてばっかりだったり、会話が噛み合わなかったり、いじめをしたりする人はたくさんいる。

一方で、友達が少なかったり、もの静かだったりするキャラでも、話をする機会があれば誰とでも楽しい時間を過ごせたり、仕事のやり取りがスムーズにできたりする人も、ごまんといる。

もっと、
「友達が少ない」ということを、「ただの事実」として、フラットに捉えたっていい
のではないだろうか。

「お前、友達少ないだろ」

という煽り文句があるが、これは「友達が少ない人」と「人間関係を構築できない人」を混同した悪口だ。

「友達が少ないだろ」自体は別に、悪口でも何でもない。

「お前、暖色系の服が好きだろ」
「お前、好きなものは最後まで残して食べるタイプだろ」

くらいのレベルの、単なる「嗜好の指摘」みたいなもんなのだ。

たまに、「友達は多い方がいい」と考える人に、「一人で過ごす方が好き」ということをチラッと話すと、軽い説教を受けることがある。

主に、以下に挙げる3つのようなことを言われてしまうのだが、どれもしっくりこないのだ。

その1「人は一人では生きていけないんだよ?」

いや、話がズレすぎだろう。僕が「自分以外みんな消えてほしい」と言ったならまだしも。

別に他人という存在自体を軽んじているわけではなくて、
積極的な人付き合いをしない自由
を享受したいと思っているだけなのだ。


その2「みんなが君みたいな性格だったら、世界が滅びちゃうよ」

そんな浮世離れした仮定の話をされても困ってしまうし、みんなが僕みたいな性格にはならないから安心してほしい。

コロナ禍で判明したように、
“人と直接コミュニケーションを取れない”
ということがストレスになり、気が滅入ってしまうという人だってたくさんいるのだ。

だいたいそんなん言い出したら、

「みんなが君みたいな性格だったら、世界が滅びちゃうよ」

と、他人に説教しちゃうような失礼なやつばかりでも、世界は滅びるだろう。


その3「多くの人と関わらない人は視野が狭いんだよ」

僕はこの思考こそ、視野が狭い考え方だと思っている。

もちろん、人と直接関わることでしか得られない経験はあるし、その人と出会ったからこそ広がる視野というのは、確実にあると思う。

でも、それは他の物だって一緒だ。
本であれ、映画であれ、一人旅であれ、そこからしか得られないものはある。
ただ、“視野を広げる方法が違う”というだけなのだ。

刑務所の独房から出所した元凶悪犯罪者が、今までとは別人のように社会貢献活動をし始めることがあるという。
それは、独房の中で自分と向き合ったり、人生観が変わるような本と出会ったりしてきたからだろう。

さらにもっと言うと、
そもそも別に、視野を広げなくたっていいのだ。

視野を広げる理由は何か。
より幸せな人生を送るためであろう。現時点ですでに幸せなら、無理に視野を広げて余計なものを見る必要すらない。

「人付き合い」だって同じだ。

それは、幸せに生きるための一つの選択肢でしかない。

無理して人付き合いをすることでストレスが増えるならば、極論、友達なんてゼロでもいいのである。

この文章は、拗らせたおじさんが

「友達なんていらねぇよ」

と言いながら書いているわけではない。

「生きていくうえで必須条件みたいに言われているけど、人付き合いって心身を病んでまで無理してやる必要はないよね」

ってことを、拗らせたおじさんがボソッと言いながら書いているだけなのだ。

「たくさんの友達=幸せ」
「一人=不幸」

という考え方が当たり前になってしまうと、一人でいることが好きなはずの人でも、世間の空気に押されて、“一人でいる自分”を好きではなくなってしまう。

また、「自分は真っ当ではないのでは」と、本来必要のない疑念を抱いてしまう。

「ともだちひゃくにん できるかな」ではなく、「毎日楽しくやれるかな」くらいの精神で生きていくのが、少なくとも僕にはちょうといい。

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