人の死に触れすぎた思春期、高校生。

皆さんこんにちは、GWはどうお過ごしになりましたか?
私は家でゆっくり過ごすことが主でした。

GWだから出かけなくちゃいけないとかそういう考えを持たずにただやりたいことだけやろうと思った結果、連休中外出自体は3日間くらいしかしませんでした。……外出、結構してる方かも。

さて、それでは私という人間が形成された過去を振り返る回に関しては、今回の高校生時代が最後の回となります。
私は、高校生になり、人の死に触れすぎたくらい触れることになりました。


高校一年、闘病の末、父の死。


父は、私が幼い頃に悪性リンパ腫と診察されて以来、東京にある大きな病院に通い、再発を繰り返しながら闘病し生き続けていました。
ですが、当時の医療技術で悪性リンパ腫を完治するのは難しかったでしょう。
今でも難しいことだと思います。
高校一年生の冬だったかな、二年生だったか、父には申し訳ないのですが、冬ということしか覚えていないけれど、父は独りで亡くなりました。

以前、父の借金のことについて記事に触れたと思います。
借金は莫大なもので、私たち家族に返すあてはありませんでした。
その上、父は別のところでもお金をいくらか借りていたようで、全てを返すのは無理だと判断し、父と母は形式上離婚、別居。それは、私のためでした。
二人が形式上でも構わないので離婚し、私の親権が母のものとなれば、父が亡くなった後に相続放棄をすれば、私と母は父の借金を背負わずに済みます。
以前、母が花屋を経営していた際に来て下さったお客様がそういった弁護士関係のことに精通している方で(実は今母と私はこの方の会社でお世話になっています)、そういった判断をして勧めて下さいました。それは、私と母を想いやってのことでした。


……そして、病気の父は、そのせいで自宅で独りで誰にも看取られることなく亡くなりました。
私に、「夢をかなえられるように頑張れ」と遺書を残していました。
父は、自分がもう永くないことを知りながら、独りで亡くなる覚悟をしていたのでしょうね。


彼は最期に、私と母に頼ることは、しませんでした。



私は、現在双極性障害と診断され、どちらかというと鬱の症状が強いのですが、治療しながら生きています。
今はかなり良くなってきていますが、一時……そうですね、彼と別れる前は
特に、ずっと「死にたい」という感情に心を支配されていました。


父は生前どうだったのでしょうか。

父が亡くなってから、もう治療をやめたいと何度も嘆いていたと母から聞きました。
抗がん剤治療は大変なものと耳にします。私は実体験したわけではないですが、経験者の皆様は口をそろえてそう仰っていますし、そして、実際に治療の過程を間近で見ていたことがある私も、その通りだと思います。

そのくらい辛いことなのに、彼は、私たち母娘のためにずっと生きる努力をしていたのでしょう。

彼が亡くなる直前は、ずっと彼はマスクをしていました。
だから私は知らなかったんです、彼の顔の一部が抗がん剤治療の影響で溶けて穴が開いていたことを。

なのに、私は、彼に何もできませんでした。

亡くなる直前に、彼が私と母の住むマンションの真下にあるスーパーで買い物をするのにお金が足りず借りにきたことがあります。
私はバイト代を口座から降ろして、態度悪く彼に貸しました。
その時に、「今度焼肉でも行こうね」と言ってくれたのに、私は突っぱねました。
彼と会ったのも、会話すらもこの時が最後でした。

彼との思い出はほとんどないのに、この時のことは呪いのように私の脳裏にこびりついています。


……やはり父のことを考えると、少し暗い気持ちになりますね(苦笑)。

記事そのものが長くなりそうなのもありますので、一度今回はここで終わらせていただきます。
大切な人たちの死を思い返すと心が病んでしまいそうになりますので、気持ちが落ち着いたらまた続きを書きますのでお待ちくださいね。

少しづつ、心を労りながらやっていきます。
こんな私ですが、楽しく生きていたいから。

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