真っ暗闇にいた中学生時代

お久しぶりです、なのはです。
数日間執筆する時間が取れず、放置してしまっていました。


その間にスキを頂けたり、フォローしてくださった方がいて、このような駄文を読んで頂いたということにまずは感謝の気持ちでいっぱいです。
とはいえ、私の駄文をおそらくタグから探して読んで頂けたからには、メンヘラクズの生態について知りたいと思って頂いたのでしょうから、ガンガン書き進めていかないとですね。
とはいえ、根詰めすぎて自分自身が重荷に感じるような責務にはしたくないので、そこだけはご了承下さい。


……さて、前回は恵まれていた小学生時代についてお話しましたが、今回は私の人生の分岐点になったような気もする、中学生時代のお話をしていきましょう。
私は中学生時代が辛すぎて、中学生の時からのお友達って全員疎遠なんですよね。
同窓会とか呼ばれたことないですし、LINEの連絡先とか電話番号とか誰一人知りません。後悔したこともないですけど。
ほんでもって、中学の時の時系列も曖昧です。正しい記憶かはわからないですが、印象深く残っていることはいくつかあるので、お話しますね。

はじめていじめを受けた中学生

中学生の時は、吹奏楽部に入部しました。
でも、私の時代の吹奏楽部ってありえないくらい上下関係が厳しくて、廊下を歩いてて先輩とすれ違うたびに必ず「こんにちは」って大きな声で言わなきゃいけないとか、スカート短くしちゃいけないとか、この世で一番ださい白色の短めのソックス履かなきゃいけないとか、まあなんというか、うるさかったです。

でも、小さい頃からピアノをやっていたこともあってなのか、音楽は好きだったので、吹奏楽部以外に興味もなかったし、当時仲が良かった友人が吹奏楽部に入るって言ってたので私もそうしました。
練習は毎日あったし、土日はどっちも朝7時から夕方5時まででした。サボったことあって、それがバレたときは血の気の引く思いでした。
とはいえ、県大会や関東大会常連と呼ばれる強豪校で、結構練習は頑張ってました。



ところで、人間ってどうしても馬の合わない相手がいると思います。
当時、私たちの代で部長になった同級生が私にとってそういう人でした。
なんかすっごいいやがらせを受けた記憶があるんですよね。
当時も文章を書くのが好きで、拙い文章ではありますが短編小説みたいなのを書くのが好きでした。自分でホームページとかも簡単な見た目のものですが立ち上げてみたりして、楽しんでた記憶があります。

そのきっかけが、その、部長になった子、佳穂だった気がします(正確に覚えていないけど)。
私に小説を書いたりするのが楽しいよって教えてくれたんだったかなんだっか忘れたけど、私は佳穂のホームページも知っていたし作品も教えてくれていたので読んでいましたし、佳穂も私のものを知っていたし作品も見ていました。
でもなんとなくお互い恥ずかしいのもあって、他の人には公言していませんでしたし、二人だけの秘密って感じでした。

って感じで、私は勝手に佳穂の事を仲のいい友人だと思っていたんですが、私は佳穂に嫌われてたみたいで。
いつからか忘れたけど、佳穂の取り巻きにいるような男子たちがわざわざ私のクラスにまで来て大声で罵倒しにきたりとか、指さして笑ったり……。あと、好きな子がいて告白したんですけど、それを言いふらされたり。
で、ここまでならよくある感じで我慢できたんですけど、ある時から上履きに画びょう入ってたり、財布のお金を抜き取られてたり、体操着のズボンをはさみで切られてたり。マジのいじめって感じのいじめを受け始めて、私は不登校になりました。
ちょうど中学二年生の後半くらいからだったと思います。

このあたりからでしょうか、私はとにかく「他人に嫌われちゃいけない」っていう、今になって考えてみると恐ろしい固定観念を持つようになっていました。

当時の担任に今でも感謝しています

他人に嫌われちゃいけないっていう恐ろしい考えって、まだ13歳とかの子が持つにはあまりにも苦しいと思うんです。
特に自分は、家庭環境もやや複雑で、思春期に安心するような環境を築けていなかった(繰り返しますが、これは運が悪かっただけで親が悪いとは思っていません)と思うので、中学生の私が背負うにはつらい考えだったと思います。

ですが、当時の担任が本当に自分を思いやってくれた方で。
不登校だった時も保健室でもいいから来てみないかって言ってくれたり、定期試験は私からお願いしなくても、教室で受けさせずに特別に一人で別室で受けさせてくれていました。
もしかしたら母が頼んでくれたのかもしれませんが、それでも配慮してくださった担任、心配してくれていた母、そしてお付き合い頂いた先生方には感謝してもしきれません。

そんな皆様の思いやりのおかげで、中学2年生の約1年間は教室に行けませんでしたが、3年生からは保健室登校を交えつつ、なんとか教室に行けるようになってきていました。

それって、先生方が私のためにしてくださった行為の賜物だと思うんです。
幼い私にも、先生方からの愛情(という言葉では少し重いかもしれないですが)が伝わっていたんだな、と、大人になった今思い返すと感じます。

もし、当時の先生方がいらっしゃらなかったら、今の私はもっと歪んでいたのかもしれません。
こうして客観的に自分の人生を思い返すことが出来る人間にもなれていなかったかもしれませんね。


どん底にいた中学生時代でしたが、逆にこの経験の方が私の記憶には鮮明に残っています。(笑)
人間って、辛い記憶は消す……って言いますしね。

いじめで出来たトラウマ

でも、いじめで出来たトラウマが消えたわけではありません。
そんな時に、母が私に言ったことは今でもはっきり覚えています。

『頭のいい学校には、そんな頭の悪いことをする子はいないよ』

ということで、受験期1年間、ものすごく勉強して偏差値は結構伸びましたし、一生懸命勉強して結果が伴ってくるという成功体験を得ることはできました。
実際、頭のいい学校には云々っていうのは真実は分かりませんが、あの時に母が私にかけた言葉のおかげであの時に成功体験を得ることが出来ましたし、自分に自信をある程度つけられたのかもしれません。



いじめは、いじめる方は何があっても悪いと思うんです。

でも、いじめる方「だけが」悪いとは言いません。
いじめられる方にも何かしら悪いところはあるのでしょう。
ただ、それをいじめという形で相手にぶつけるのは絶対的に悪だと私個人では思っています。
いじめられる方が何もしてなくてってパターンもないわけじゃないと思います。


でも、私は、悪いところがあるタイプの人間だったのかもしれないです。高校生になり、少しそこで苦労しました。

さて、高校生になったなのは少女は、人の死に何度か触れる事になります。


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