【#今年学びたいこと】おもてなしのお茶
緑茶をおいしく淹れられるようになりたい。甘さとまろやかさ、緑茶のいいところをしっかりと感じられる味が理想だ。
きっかけ
最近、家によくお客様が来るようになった。同居している母方の祖母が認知症となり、介護サービス関係の方々が話し合いのため家に訪ねてくる機会が増えたからだ。
寒い時期、うちでは急須で温かい緑茶を淹れて客人に出すのだが、私はこれがとても苦手で味が安定しない。
(暑い間はやかんで煮出した麦茶を冷蔵庫に常備しているので問題ない。やかんで麦茶は、失敗する方が難しいと思う。)
昨年の暮れの話し合いの場で出した緑茶を自分で飲んだら、水っぽいのに渋かった。緑茶の悪いところしか出せていなくて、お客様にもお茶にも申し訳なくなった。
この出来事がおいしい緑茶を目指すきっかけとなった。
理想のお茶
さっきの「甘さとまろやかさ、緑茶のいいところをしっかりと感じられる味」というのは、父方の祖母が淹れてくれていた緑茶のことだ。(ややこしいが、前述の認知症で同居しているのは母方の祖母)
電気ポットから湯呑みに熱湯を注いで少し冷ました後、そのお湯を茶葉を入れた急須に移して、茶葉を蒸らしていたのを覚えている。
玉露ではなく、煎茶を使っていたと思う。(緑茶という括りの中に煎茶、玉露、番茶などがあると知ったのは最近だ)
渋みがなく飲みやすい温度で、特に寒い冬に出してもらうとほっと一息つけるような味だった。
今は高齢者施設に入所していて、お茶を淹れてもらうこともできない状態なので、舌の記憶を頼りにあの味に近付くしかない。
いつでも飲めると思っていたのが大間違い。淹れ方を教わっておけばよかった。
数値化すること
自分の記憶や感覚は当てにならないので、以下のことを数値化しようと思っている。この他、使うお茶っ葉も決めておきたい。
目指せ、安定して美味しいお茶。
記憶を辿る
おいしいお茶の記憶を手繰ってみたが、思い浮かぶのはお茶の淹れ方より祖母自身のことだ。
話好きな人で、出迎えられて茶の間のこたつに入るとすぐに祖母の話が始まる。
たいていは遠い親戚や祖母の近所の人など私の知らない人たちの近況。話のわかる父が相槌を打ち、私や弟は聞き流しながらお茶菓子を頬張るのが常だった。
お湯の入った電気ポット、急須、茶筒、湯呑みなどはこたつから出ずとも手の届く場所に置いてあり、祖母は淀みなく話しながらも慣れた手つきでお茶の用意を進めていく。
しかし、話に夢中になるばかりに、湯呑みでお湯を冷まし過ぎたり、茶葉を蒸らしすぎることもあった。
試しに一口飲んで「あら、ちょっと渋い。捨ててくるわ」と席を立つ祖母を「いい!それでもおいしいから!」と止めたりもした。(それが2回連続であった時にはコントかと思った)
祖母はきっと「自分が淹れられる限りのおいしいお茶で客人をもてなさなくては」と思っていたのだろう。それが例えよく顔を出す息子家族であろうとも。
今年の抱負
今年の秋、寒くなる頃には祖母のようにおもてなしのお茶を入れられるようになっているだろうか。おいしいお茶でお客様を迎えられるようになりたい。
しばらくは電子レンジで温めたペットボトルの緑茶を、いかにも「淹れました!」という風に出して乗り切ろうと思う。
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