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どうせ歩くなら東海道 07 【坂下〜関】

東海道を(ちょっとづつ)57歳女が歩いた記録です。

旅の後半。
関宿を出てからはこんな感じの道が続きます。

三重県亀山市関町 坂下


10分ほどで沓掛(くつかけ)の集落。

沓掛の集落
三重県亀山市関町  沓掛

「沓掛」
旅人が草鞋や馬の沓を神にささげて
旅の平穏を祈ったことに由来するそう。
ただ、「くつ」も「がけ(かけ)」も
いわゆる崩落地形を表しているという説もあって
個人的には後者かなと思う。旧坂下宿の例もあるし。

鈴鹿馬子唄会館で一休み

鈴鹿馬子唄会館
三重県亀山市関町 

展示してある資料がとってもわかりやすい。

ふむふむ。
土山まで荷馬を使うと3,375円かかるのだな。
現代の感覚だと軽トラをレンタルするようなもんだ。
軽トラは6時間で4,000円くらいだからほぼ適正価格か。
でも江戸時代の225文と今の3,375円を比べたら
価値の重さからすると今のほうが軽いはずだから
当時の感覚としてはやっぱり高かったのでは?
頭が混乱してきた。このあたりで止めときます。

沓掛の集落を抜けたら関宿までずっと1号線。
はるか先まで同じ景色の1号線。

三重県亀山市関町 市瀬

心が折れそう。
筆捨山になぐさめてもらう。

筆捨山(289m)
三重県亀山市関町 市瀬

「かつて狩野元信がこの山を描いていた時のこと
 1日で描ききれず、翌日に続きを描こうとしたら
 雲や霞がたちこめて山の姿が変わってしまっていて
 そこで描くのをあきらめて筆を投げ捨てた」
というのが名前の由来。キレる元信。

私も子供の頃、小学館の「小学◯◯年生」の付録が
うまく作れなくてヒステリー起こして途中で投げ出した。
気持ちはわかる。

広重がきっちり描いてくれました。

ここちょっと行ってみたいかも。
インスタ映えしまくりだ。#筆捨山

国道を歩くこと40分。
ようやく市瀬(いちせ)の集落まで下りてきました。

市瀬の集落
三重県亀山市関町 市瀬


謎のキリスト看板はここでも健在。
となりの「いちょうや」もよいですねえ。
(「スワ新道」が「スワ親治」に見えた私は昭和な女。)
こういう個性的な看板と出会えるのも東海道歩きの醍醐味です。
どっかの政党やら議員さんやらも見習ってほしい。
所構わずポスター貼りまくってて品のないことこの上ない。

国道の向こうにびっくりやが見えてきたら
関宿までもう少し。

びっくりや
三重県亀山市関町 新所

関宿到着!

関宿 新所の街並み
三重県亀山市関町 新所

これよこれ!
この景色が見たかったのだ。

東側から鈴鹿峠方面をのぞむ
三重県亀山市関町 新所

大旅籠だった會津屋は今はお蕎麦屋さん。

會津屋
三重県亀山市関町 新所

せっかくなのでこちらで昼食をとることにします。

「ミニざるおこわ定食」 1,350円
どの品もきちんと心を込めて丁寧に味つけがされていておいしい。
特に山菜おこわが絶品だった。
外でこんなちゃんとしたごはんを食べたのは久しぶりだ。
ごちそうさまでした。

本日のゴール

伊藤本陣跡
三重県亀山市関町 中町

時間も押してきたのでとりあえず今日はここまで。
本陣早立!


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