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起こることから学ぶ part2  

 起こったもめごとが解決しようがしまいが、きっちり掘り下げられた時には心の中はスッキリするものです。しかし今回はまだあれこれモヤモヤしたものが残っているし、朝、久しぶりにイラッとすることがあったので、この二つは関連しているのか、更なる掘り下げを試みます。

イベントを潰されそうになっていることに関して
 誰がどう見ても、こちらに理がある。しかし、理がある方が通るとは限らない。だとしたら、なぜ理があるにもかかわらず通らない、ということが、今ここで起きるのか。
 これについて掘り下げるために、理があるはずなのに通らない時の気持ちからスタートします。

こちらの言い分に理がある。一方的に権力を振りかざして「中止」と言ってくるのはおかしい。→もしもこれからも、イベントを企画するたびに上が「中止」と言ってきたらどうする?→上のいないところでイベントをする。今回はそれを学べということ。(心が決まったので、これはここでOK。)

朝の「イラッ」について
 可愛がっているトックリランに向かって同居人Aがハサミを持って立っているので、この人何をするつもり?と思ったら、色の変わった葉っぱを切ろうとした。→「はぁ?そのトックリラン私のですけど。」→伝える。「葉っぱ枯れてるやないの」→「いや、それ私のですから。」→一向に通じないし悪いとも思っていない。→これはこういう人種なので、ここに関わっていても仕方がない。→なぜ私は自分の所有物と思っているものを勝手にいじられると腹が立つのか?→大切にしているから。→大切にしているものに、ずーっと他人が土足で踏み込んできたらどうする?→その都度言い続ける。言いながら「こいつアホちゃうか」と思う。→それでもしてくる。→アホでもわかるようにちゃんと伝える。→それでもわからずにしてくる。→面倒なのでシャッターを下ろす。→それでもどんどん叩いてくる。→うるさい。警察呼んだろか。=その人を黙らせる権威のあるものに頼ろうとする。→権威あるものもその人の味方です。どうする?→権威に任せるのはやめる。自分の心だけを権威とする。何をされても、通じなくても、淡々と言い続ける。理はこちらにある。→理がある方が勝つと思うのはなぜ?→勝つと思うわけではないけれど、二つに一つを選ばなくてはならないなら、理があるかどうかで決めるべき。→そうならなかったら?→この組織アホやなと思う。→理なんてものはそもそもありません。どうする?→理がない、ということはない。天から見て、こちらが正しい、はある。→そんなものありません。どうする?→じゃあ自分にとって「理がある」と思う方を選び続ける。→邪魔ばかりされます。どうする?→知らんがな。どけ、と思う。→どきません。どうする?→段取りを一つずつ踏んでミッションクリア。人生はRBG。→RBGの人生ってどう?→面白いけど、だから何やねん、と思う。→だから何やねん、とは?→面白いだけで、自分がどう成長したのかわからない。→面白いだけで、別に成長はしません。どうする?→理があるかどうかをその都度判断することを、自分の成長ステップとする。→理なんてありません。→外から見たらなくても、内側にはあるんじゃほっとけバカ。→その理が間違っていたらどうする?→独裁者になるかもね。→イベント潰しのラスボスも自分の理に従っているわけか!!(理解)→理どうしがぶつかったらどうする?→権威のある方が勝つんだろうけど、それはどうでもいい。→上のいないところでイベントをする。→さっきと同じ結論!→これが進むべき道か。→がんばる。(終わり)

 というわけで、村上春樹の「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の二つの物語が最後にくっついたように、昨日からのラスボスご乱心事件と今朝の同居人不法侵入事件は同じものが源にあったのでした。そして、掘り下げたことで進むべき道がわかりました。

 私はパソコンで打ちながら掘り下げをするのですが、こう書いていて、自分でも思っていなかった地点に到達できたので、これが掘り下げの醍醐味というやつか、と思っています。今日の最後のメッセージは「自分のイベントは、組織に頼らず自分で作る」でした。



 


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