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ぼくは探しています。


何が正義なんだろう。何が正解なんだろう。

それは自分にしかわからない。


一般的ってなんだろう。

大人ってなんだろう。

若いってなんだろう。

甘い考えってなんだろう。



ぼくはただ幸せになりたいだけ。


幸せになるためならなんだってする。

自分に常に問いかけ続けている。常に探している。


特に「これじゃないといけないんだ」というこだわりはない。

ただその時々の自分の直感や感情に合わせて動くのみ。


それがぼくにとって、最善の選択になるんだから。



いまは食事とかストレッチ、生活習慣や自然系がきているんだけど、

今後はどうなるのかわからない。全てにタイミングがある。

自分が今だ!と思った時に、そのタイミングを逃さずに行動できるかが何より大事なこと。


ワーホリするかもしれないし、お店を開くかもしれない。会社に入るかもしれない。

あらゆる生き方や暮らし方の選択肢がこの世にはあるけれど、そのすべてが僕の可能性だ。



ちなみに僕は今お金がわからない。

生活をする為に会社に入って、働いて、お金を稼いで・・・というのはあまりピンとこない。

そもそも働くという言葉すら、何かちょっと違和感を感じてしまう。イメージでは、頑張って居る感じ、力が入っていて、不自然な感じ。


「居る」「暮らす」「生きている」

これならすごく分かる。ぼくにとって、今はこっちが自然なのだ。

だから、もうすぐ、今の生活を脱却して、そういう生き方をしていくと思う。


そっちの方がぼくが幸せになれるのだから。



話を戻そう。


とある人が言った。


「あなたって、結局何がしたいの?」

「あなたって、すぐ辞めたりして、物事続かないよね?もう少し地に足つけば?一つのことを一生懸命しなよ。合わないから辞めてたらキリないよ。我慢も時には必要なんだから」


一理あるけど、そのスタイルがぼくに合わないだけ。


一つのことを極めるのが素晴らしいことだ、と"一般"化されてしまうと苦しい。

多くの人が会社に入る。それも "一般"的なのかもしれないが、ぼくにとっては幸せになる為に一つでしかない。


とにかくぼくは幸せになる為にいまを生きている。

これからもぼくは色んなことをするだろう。


社会や世の中の流れに沿わなかったり、

いわゆる"一般"的でないことをするだろう。


時には、一般論や人の意見も大事だけれど、

僕は何度も何度も自分と語った結果、気付いた。


”人の意見や一般論を踏まえて色々行動したけれど、自分の直感や感覚とは大きくズレていた。結局、答えは自分にしかわからない”

ってことを。


語弊がないように言うと、正直人のアドバイスや意見は嬉しいし、直感重視型で、理論や一般論をあまり知らない自分にとって、その意見はとっても貴重なのだ。

でもアドバイスはアドバイスだ。決めるのはぼくだ。


ぼくは自分を愛しているし、ぼくのことを一番知っているのはぼくだ。

だから自分が納得いかないと絶対後悔する。全部決めたいし、全部自分でやらないと気が済まない。



まあ、ぼくが笑って、幸せに生きていたら、それでいいじゃん。

すっごく簡単なことだよね。



あ、ちなみに今はぼちぼち幸せです。


今後もどうぞよろしくお願いします。