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やっぱり逃げたい。これは病気だと思う。

最初の逃げは、自分からじゃなかった。母と東京に出てきたとき。今まで故郷で培った人間関係や思い出を全部全部突然捨てたとき、わたしのなかで何かが変わった。まだあそこにいる人間が羨ましくて、妬ましくて、同級生の連絡先も、何もかも消した。
次に高校中退。全部やめた。知っている人の連絡先もバイトも全部辞めて、思い出すものは全部捨てた。

それからは止められなくなった。続かない仕事に恋愛。流れはいつも一緒で、全部全部終わりにする。転職、離婚、引っ越し、連絡先は消し、SNSも消す。誰にも知られたくなかった。その度に築く新しい自分。自分のことを誰も知らないという、とてつもない安心感。ああ良かった。やっと一人でいられる。

わたしはいま、海外にいて、もうすぐ第二言語で看護助手の資格を取り終わるところで、一緒に住んでいる人もいて、住む家もある。なのに、なのにわたしはまた逃げたい。逃げたくて逃げたくて仕方がない。全部手放して、楽になりたい。
逃げたら、また同じ。同じことの繰り返し。風俗でとりあえず一ヶ月分くらいの生活費を稼ぎ、格安の部屋か居候先を見つけ、定職を探す。誰も知らない新しい自分。それだけだ。
いつも自分から逃げる。なのに、心からホッとするのは束の間。自分のしたことの輪郭が日に日にくっきりと見えてきて、傷ついて、生きていることさえ耐え難くなる。

数ヶ月前、オンラインカウンセリングを受けたときに、大きな決断をしそうになったら、誰にでもいいから相談してとアドバイスをもらった覚えがある。

それができないから、こういうことになっている。だってこんな相談、明らかに異常じゃん。誰にすればいい?知っている人や会ったことある人には、できるはずもない。それがたとえ医者やカウンセラーでも同じ。話したところで自分の行動が変わるのかどうかも、正直分からない。こんなこと相談されても困ると思う。自分なら御免だ。
もう20代も後半で、子供じゃない。けれど中身はずっと、”ダメと言われるとやってしまう” 子供のまま。一度自分で繋いだ鎖は、自分の手で壊したくて、堪らなくなる。普通じゃない。分かっている。そんなこと、ずっとずっと前から気づいていた。美味しいものも、大事な人も、なんにもいらない。苦しいだけだ。

羽田空港の火災のニュースはこちらでも大々的に報道されて、わたしの逃亡欲求に火がついた。独りであの空港に降り立つ自分を想像する。



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