突然だけれど、「過去はある?」と聞かれたら、「無い。」と答える。別に哲学的な話をしている訳ではなくて、わたしは自分の衝動性ゆえ、過去に気を配る能力が極端に低い。 突然頭に閃光が走り、行動する。そのとき、わたしが持っていたはずの、過ぎ去った時間(のようなものは)姿を隠している。わたしは見向きもせずに(できずに)突っ走る。 思い出は、痛い。それも多ければ多いほど痛い。だから後ろは振り返らない。痛いのは嫌だから逃げて回る。時間が経つとそれらはただの傷跡になり歴史に刻まれる。まる
コミュ力が高い。無駄に、めちゃくちゃ高い。つまり、わたしは弱い。最近はそれを再認識する出来事が立て続けに起こった。 生きる力が、実は全然ない。自由を愛するにも関わらず、ひとりでは生きられない。どこからか漠然とした不安がやってきて、家族のことを思い出しては孤独を感じ、死ぬことに憧れる。 人と話しているとき、その漠然とした不安のようなものはどこかに隠れる。一生消えることのないその不安が。ひとりになればそいつはまた戻ってきて、わたしは再び空虚な空間にひとり投げ出される。肉体の中に
国境を超えて一ヶ月経った。つまり、何度目か分からない逃亡から、一ヶ月経った。 よくよく考えると、この一ヶ月で自分でもびっくりするくらいたくさんの人に出会って、しかもみんなみんないい人で、何故か見ず知らずの自分を助けてくれた。 居場所はいくつあっても良い。帰れる実家も、頼れる家族もいないが、今何かあったら帰れるなと思える場所が、2つある。 感謝してもしきれない。恩だってどう返したら良いのか分からない。だけど、今回に限っては、わたしはその人たちに本当に助けられた。そのおかげで
部屋ができた。が、わたしの全財産はスーツケースひとつである。布団を置いたがあまりにも殺風景で、廃材で何か作ろうかなと考える。 今から10年くらい前、わたしは物を拾うことと、盗難との違いが分からなかった。はじめてひとりで住んだ場所の備品は、殆どそういう形で手に入れた。道端で、大きいマンションのゴミ捨て場で、ときには屋上や空き家で。資源回収の日は特に楽しみで、早起きして近所で本や漫画を漁って読んだ。忘れもしない、幸福な火曜日。こうして書いていて思うけど自分は何かがおかしい。
最近気がついたこと ※面白くありません 少しでも自由が制限されると逃げる。 目の前にいる人が、"気に入りそうな人" を一瞬で見極めその演技をする能力がやけに高い。 見捨てられることが怖かったからだろうか。 そのため大抵気に入られるが、演技しているうちに行動が制限されはじめ疲れて逃げる。 逃げて傷つくのは自分だけではない。 で、また逃げそうで怖いから他人に気を許すのが怖い。 酒を飲んでいるときしか食欲がない。 なので逆に酒を飲まなければ殆ど何も食べずにいられるな
エレカシを聴いて泣いた。 カツ丼を食べに3時間歩く。 知らない土地でたまたま泊まった宿の、屋根裏部屋に住んでいる。 その宿代として、朝10時から掃除をする。 無職期間がもうすぐ終わる。 誕生日が過ぎ去る。 海外への未練は消え去る。 傷は残る。 保険証がないせいで強制断薬状態になり目眩がする。 屋根裏で知り合った51歳のスナフキンみたいな人と飲み倒す。 花火が買いたい。 花粉症にアレグラがめちゃくちゃ効く。 全財産がスーツケースひとつ。 出会う人に恵ま
でも何処へ? わたしはずっと迷子だよ。 居場所なんて、最初からない。自分から作らなきゃいけない。頭では分かってる、分かってる。分かっているけど解らない。迷子には帰る場所が必要なのだ。 ひとつの居場所に留まること、と配られた地図には書いてある。 人間は、例えそれが堕落だとしても、楽な方へ漂う生き物らしい。わたしは、はぐれることに夢中になる。一度置いていかれたら、大人しく後を追えば良いこの世界でひとり。 全く別の道を歩き出すことには中毒性がある。幸せさえ感じる。わたしは何度も
恥の多い人生を送ってきました。 太宰治に会ってきた。 このひとの孤独と痛みはいつもわたしを魅了して、ここ数年は彼の文章を読むと自分のことかと錯覚する。 ところで最近の自分は、言うなれば『人間失格』ラストの大庭葉蔵状態である。たくさんのものを失い、何をすれば良いかも分からない。無駄に大人びた自分と、子供のままの自分がごちゃごちゃに混ざり黒く染まってく過去。 太宰と死んだ女は幸せだなぁ。全てを手放して、愛したひとと、水の中で。 【余談】 森鴎外のお墓参り(太宰治の向かい
サルトル。 3次元の物質には過去が宿る。あのときのあれ、あの頃のこれ。 肉体に過去は宿らない。失うものがない者は、皮をいくら剝いだとして、思い出は通り過ぎ、喜びは薄れ、もう傷まない傷跡だけが残る。 失うものがあることが幸せなのか、失うものがない自由を愛するか。 やる気ない、考えたくない、でも焦る。 残った虚しさと切なさ。 【余談】 人生また0地点。バンプのゼロ聴いて泣きそうになった。懐かしい、あの人とFFの零式をプレイしたあの頃。音楽にも過去は宿るよなぁ。生きるの下手
絶賛、中途半端な失踪中。スーツケースが壊れて空港で修理した。幸先は最悪である。 逃げた。何度目だろうか。数えたくもない。今回は国境を跨ぎ、現地で使っていたSNSは一掃したものの、ラインは消していない。noteだってこうして書いている。日本に残るか、あっちに帰るかは決めてない。だけども少し口を開けば、助けを差し伸べてくれる人がいて、まあ死ぬのは無しだなと思える。わたしの知っている人は優しくて、わたしが人を頼れないことも知っていて、助けようとしてくれた。頭がぐちゃぐちゃなので今
てわけで今空港です。明日朝日本着です。この衝動性と波乱、もう嫌だ死にてぇー。
日本に帰ったら何ができるか考えていた。准看護師の学校なら中卒でも入れるところがあると知る。費用も正看護師より、かなり安い。 仕事でインシデントに巻き込まれた。自分は正しいことをした、やり方通りやったはずだが、口頭指示だったため、証拠がない。あるのはわたしのなぐり書きのメモだけ。責任の押し付け合い、犯人探しとは、恐ろしいものである。狂気に満ちたインシデントレポートをマネージャーの前で眺める。堂々と、事実だけ話した。どっと疲れて帰宅して、これから無意味になりそうな資格証明書を眺
未完の魅力。思い浮かぶのはゴーゴリの「死せる魂」とカフカの「城」だろうか。アレクセイ・ゲルマンの「神々のたそがれ」も彼の死亡により家内が完成させたことで有名か。あとは十年くらい前に「アンダー・ザ・ドーム」という米ドラマが良いところで打ち切りになりブチギレた記憶がある。
久しぶりに気が向いたのでオンラインカウンセリング。今日の人、すごく良かった。最近パートナーに日記を見られたり、仕事を辞めろと言われたり、別れ話をしたりしいてだいぶプライベートがガタついている。状況を整理したら、極論、やっぱ別れよ、となった。 精神的にも、物理的にも、人に依存する環境というものは、耐えられなくなる日が必ず来る。それは少しずつ自分が削られていくような感覚に似ている。フランスの哲学者C・マランが引用していたオウディウスの文章に、わたしは厭にも共感してしまう。 他
世の中には、プツっと何かのスイッチが入って、突然人格が変わる人がいる。しばらく自分を見失い、我に返る。所謂、 "キレる" 人たちだ。かつての自分の家族にも、そのタイプの人間がいた。 数日前、職場でいい人だなぁと思っていた人が突然キレた。みんなびっくりして、だけど社会というものはやっぱり時々厳しくて、次の日からは、誰も彼もがその話をしていた。 わたしはその現場を見たわけじゃないし、別に患者に危害を加えたわけではないのだから、そのまま働けば良いと思う。サポートが必要なら職場は
愛する作家はジャン・ジュネと、太宰治。彼らは、悪魔。 自分はおそらく、破壊的な生き方が好きだ。 今、逃げたくて逃げたくて堪らないのは、自由が、破壊的な生き方が、ただ破滅することが見えているあの生き方がしたいからなんだと思う。 失うものがないと、何でもできる。そしてその安心感には、強い中毒性がある。 わたしが一番破滅に向かう生き方をしていた時期は人生で大まかに2回ほどあって、そのうちのひとつは21歳、離婚したすぐあとだった。 お金もなくて、家もない。アパレルショップの契