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もう一つ、居場所を持つ

子どもの頃からの友人とは、今も不定期的に会っている。

彼女たちはわたしがどんな仕事をしているのか知っているけれど、だからといって、会ったときに仕事の話をするかといえば、それはほとんど無い。

ほぼ話題にのぼることがない理由の一つに、「何をやってるのか、よくわかんない」があるとは思う。何をどう掘り下げたらいいのか、見当がつかない、というか。

けれどそれ以上に、彼女たちにとってわたしがどんな仕事をしているかは、わりとどうでもいいことなのだろう、とも感じている。事実、わたし自身も友人の仕事について、何かを深く聞くことはあまりない。仕事の話をしなくとも、話題なんていくらでもあるからだ。

今でこそライターなんていう仕事をしているけれど、もともとわたしはその業界出身でもなんでもない。だから、リアルな知人のなかに書きものの話をする相手なんて、ほとんどいないのだ。

それを「しんどい」と感じることもある。でも同時に「心地良いな」とも感じる。なぜなら、そこがわたしにとっての、もう一つの居場所だからだ。

居場所は、複数あった方が良い。例えば子どもにとって、学校がたった一つの居場所になってしまうのは、良くないと思う。「ここが唯一の、私の生きる世界だ」と感じてしまったら、そこが自分にマッチしなくなったとき、人は行き場をなくしてしまう。

仕事、家庭、友人。幸いにもわたしには、いくつかの居場所がある。たとえ一つがダメになったとしても生きていける、そう感じられるからこそ、また一歩踏み出す勇気が持てるのだ。

#日記 #エッセイ #コラム #人間関係 #ライター

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