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ミニマルライフは目指さず辿りつく場所①

今、一人で暮らすとしたら、どんな家にするだろう、と想像してみる。

ガラーン、とまではいかないにしても、おそらく、どちらかといえばミニマルな空間になるのはたしかだ。

毎朝ヨガをするための床面積が必要だから、ドーンと場所をとるソファはきっと置かない。

窓の外に緑が見える配置で机を置き、体になじんだ椅子で執筆をして、使いやすくて片づけやすいキッチンに、厳選した調理道具と食器を置こう。

服を極限まで減らすことはしない気がするけど、靴はスニーカーとブーツも含めて4、5足もあれば困らない(今もそれくらいだ)。

本はどうだろう。
今は壁一面の書棚があるから、そこに収まる分だけ並べているけれど、増えた分はムリヤリ隙間に差し込んだりせず、古い方から抜き取って定期的に手放している。

以前一人暮らしをしていたマンションでは、幅も高さも1メートルくらいの本棚に、村上春樹作品を含め大好きな本だけを収めて、雑誌は押入れ内部に置いた棚に収めていた。

そう考えると、案外、「ここに収まる分だけ」と枠を決めてしまえば、その中でやりくりできる性分なのだと思う。
持ち物だけでなく、たぶんお金も。
そして、そのやりくりによっていかに暮らしを豊かに感じられるものにできるか、という部分に、むしろ創造意欲をかき立てられる。

これは、もとの性格だけでなく、ヨガを20年以上続けてきたことも多分に影響している気がする。

ヨガは、思考から生活全般までを含めたライフスタイルだから、「日常的にヨガをする」という生き方の選択が、持ち物を減らし、食べ過ぎず、内観と他者との調和の両方を重んじることに自然とつながっていく。

「ミニマリストになる」「暮らしをコンパクトにする」という目標を掲げずして、ただ毎日ヨガや瞑想をする、その習慣を続けることで、体にも心にも自然な筋肉がつき、余分な贅肉は削ぎ落とされていくイメージだ。

執着を手放して苦しみから抜け出そう


その裏付けを、ヨガ哲学における「無執着・離欲=ヴァイラーギャ」という概念、八支則のヤマ(禁戒)に含まれる「不貧・無所有=アパリグラハ」、ニヤマ(勧戒)に含まれる「知足=サントーシャ」について学びながら、自分の中に落とし込んでいこうと思う。
*八支則についての詳しい解説はこちらのエッセイに書きました。


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