石野奈央(なおぽん)

読書を愛する積読家/10歳6歳の息子2人と暮らすシングルマザー/元アスリート/これまで…

石野奈央(なおぽん)

読書を愛する積読家/10歳6歳の息子2人と暮らすシングルマザー/元アスリート/これまでのチョット変わった経験や日々の暮らしをエッセイに/Twitter 石野奈央 @nao_p_on https://twitter.com/nao_p_on

最近の記事

連続なおぽんテレビ小説「10年後、あなたは母になる」一部第5話

10年前、私はひとりのサラリーマンと出会った。 健康診断で子宮がんの可能性があると通知を受け、健康な人生にも終わりがあることを初めて意識したときだった。 「楽しければ良い」という生き方は清算し、現実に向き合おう。 素直に湧き上がった「もう一度結婚して今度こそは子どもが欲しい」という夢の実現へ、人生計画を立て直そう。 問題は手順だった。 芸人がすんなり関係を終わらせてくれるか、わからない。 出て行ってくれても、高い家賃をひとりで払わなければいけないなら、夜のバイトは辞められ

    • 連続なおぽんテレビ小説 「10年後、あなたは母になる」 一部 第4話

      10年前、私は「子宮頸がんの恐れがあります」と健康診断の通知を受け取った。 売れない芸人を養っていたら、生活破綻すれすれの状況に陥り、水商売のバイトでどうにかしのいでいたときだった。 勤め先のジムのオープンまでに、トレーニング機器の状態を確かめ掃除するのは、毎日の業務だった。 大手スポーツクラブから高級スパ施設併設のこじんまりとしたスポーツジムに引き抜かれて、3年が経っていた。 いつもなら目をつぶってもこなせるルーティンワークの途中、パワーラックのベンチ台にへたりと座りこん

      • 連続なおぽんテレビ小説 「10年後、あなたは母になる」 一部 第3話

        10年前、私は夜の西新宿で働きはじめた。 当時、同居していた「稼がない」芸人を、昼の仕事の収入だけでは養えなくなったからだ。 日中は会社勤めで働けない。アルバイト情報誌のスナックやクラブの求人が目にとまった。お客様の隣で酒を飲むだけで、時給3000円ももらえる。そんな世界があるのか。 渋谷、六本木、新宿周辺は、未経験者にとってあまりにもハードルが高い。まずは様子を探ろう、と自宅から遠くない荻窪のスナックに応募した。 表通りから入った小さな商店街のアーケードは日中もじめりと

        • 連続なおぽんテレビ小説 「10年後、あなたは母になる」 一部 第2話

          10年前、わたしは売れない芸人と暮らしていた。 彼が所属していたのは大手芸能事務所だった。 ある月の給与明細には「舞台出演900円」とあり、源泉徴収を引かれた支給額は810円だった。 彼は月に1、2回程、所属事務所の運営する舞台に多くの出演者のひとりとして出演し、それ以外はほとんど家にいた。 西武新宿線の井荻駅から、商店街を5分も歩けば当時の家があった。築浅の1LDKで家賃10数万。3、4人は寝泊りできるであろう広々とした間取りだった。家賃を折半しよう、という約束は一度も

        連続なおぽんテレビ小説「10年後、あなたは母になる」一部第5話

          連続なおぽんテレビ小説 「10年後、あなたは母になる」 一部 第1話

          「10年前のじぶんにアドバイスするとしたら、どんな言葉をかけたいですか? 」 東京メトロ半蔵門線に揺られながら、Twitter(改めX)のダイレクトメールに届いた言葉を、じっと見ていた。 わたしは、2人の男の子を育てるシングルマザーだ。 小学1年生と4年生。毎朝5時半に起きて支度を整え、小学校が始まる1時間前に、彼らを実家に預けて出勤する。 元々、ある競技では少し名を知られたプロアスリートだった。引退後、スポーツインストラクターとして、大手のスポーツクラブに就職。その後、

          連続なおぽんテレビ小説 「10年後、あなたは母になる」 一部 第1話

          恋なんて、しなきゃよかった。

          二十歳の頃、千葉の八千代台に住んだことがあった。 京成線で日暮里から1時間くらい。縁もゆかりもない、まったく知らない街だった。 当時おつきあいした人に「一緒に暮らそう」と言われて借りた家。結局、彼がその家に入ることは、一度もなかった。 その頃、私はプロアスリートとして、朝は飲食店、日中は自分のトレーニング、夜はトレーナーのバイトをして稼ぎ、なんとか生活していた。 ずっと、恋をしている暇なんてなかった。 学生時代からそうだ。おかげで、いまだに恋愛偏差値が低い。 それでもよか

          恋なんて、しなきゃよかった。

          豆より団子の鬼退治

          「もも太郎はなんで、おに退治に、豆をもっていかなかったんだろうねぇ?」と、弟が聞く。 「そんなものじゃ退治できないからだよ」と、兄が答える。 我が家の息子たちは、なぜか鬼を信じる。 インターネット検索、YouTubeで最新情報を拾い、UMAなんて作り物というくせに、鬼の存在だけは絶対だ。 「おにから電話」というスマホアプリがある。 友人から聞いて知った。多くの子育て家庭で活躍しているらしい。鬼から電話がかかってくる設定は面白いけれど、ビデオ通話のようにイラストの鬼が出るの

          豆より団子の鬼退治

          線路はつづくよ 前橋旅情編

          我が家にはふたりの「子鉄」がいる。 子鉄、そう、鉄道を愛する子どもたちだ。 子鉄たちは、電車に乗れればご機嫌だ。いつもと違う電車ならなおさらだ。 「そうだ、前橋行こう」 私のお目当ては10月29、 30日に群馬県前橋市で開かれた『前橋BOOK FES 2022』。 子鉄たちは新幹線乗車という一大イベント。 申し分ない週末だ。そうなるはずだったのだ。 上野駅。在来線から少し離れた「特別感のあるホーム」へ向かうにつれ、子鉄たちの顔は緊張感を増していく。 次男は今日が新

          線路はつづくよ 前橋旅情編

          初秋の折から

          先日、岡山の友人から桃が届いた。 特に知らせもなくやってきた箱を開けると、ほどよく熟れた桃がゴロゴロと並んでいた。なかなか手の届かない高級品である。 息子たちも、わっと覗き込んだ。 クール便で届いた桃たちは、キンと冷えていた。 「しばらく室温におくと美味しく召し上がれます」との案内は横にのけ、まずはひとつ味わってみようということになった。 祖母から学んだ桃の切り方は、少し独特だ。 綺麗にくし型に切り分けられた桃は見栄えがするけれど、それよりも手早くて、切り手に秘密の楽し

          房総の海岸で暴走兄弟が空を見上げた夏の日

          その日、私たちは、乗り過ごすことなく無事に、安房小湊駅についた。 息子たちは先頭まで走って、特急わかしおと記念写真を撮り、ピシッと敬礼で送り出した。 駅には、見たこともない自動改札機があった。 駅員も客もいない駅で、キャッキャと騒ぐ。 ****** 息子たちも私も、銭湯や温泉が好きだ。 前回、温泉旅行に行ったのはもう2年前で、今年こそはもう一度行こうと、春先から話していた。 行き先は、スパ三日月安房鴨川。 片道約3時間の電車旅。乗り換えが4回。 健康保険組合の夏期保養

          房総の海岸で暴走兄弟が空を見上げた夏の日

          かぞくのじかん、匂いのバトン

          小学生のころ、給食室の前を通ると、あの匂いが漂ってきた。 なんとなく甘く、青臭く、正体はわからないのに懐かしい。 何の香りだろう。ずっと考えていた。 ****** 昔から、匂いに敏感だ。 だいぶ前、テレビ番組で、あるタレントが「誰かが引いたトランプを嗅覚で当てる」というマジック紛いのかくし芸を見せていた。 私は、幼い頃まったく同じことができた。 鋭敏な嗅覚が、生活の中で最も役に立つ場面。それが料理だ。 料理は独学だ。 子どもの頃、食卓にはいつもレトルト品やスーパ

          かぞくのじかん、匂いのバトン

          『月刊なおぽん』半年を振り返る

          王様の耳はロバの耳。 わたしにとってnoteは、ツイートできない言葉を書き溜める「秘密の穴」だった。 公開しないのだからどこに書いてもよかったのだけど、あえてnoteを選んだ理由は、どこかに「いつか形に」という思いもあったのかもしれない。 …………………………………………………… 幼い頃から、文章を書くのは好きだった。 絵日記、遠足の作文、校内新聞、読書感想文コンクール、スピーチコンテストなど、舞台が大きくなる度にワクワクした。何より評価をもらえることが嬉しかった。

          『月刊なおぽん』半年を振り返る

          小さなお兄ちゃん

          得意げに九九を読み上げていると、近所の人に「すごいね!」などと褒められる。 「今の人、僕のことをとても褒めていたけど、絶対小学生だと思ってないよね」そんなことをケラケラと笑いながら言う。 「双子ですか?」 息子たちを見た多くの人がそう尋ねる。 彼らの顔は本当によく似ているし、背格好もほぼ同じだ。 今年3年生になった長男と、保育園ラストイヤーの次男。 実は4つも歳が離れている。 長男は「糖原病」という病気なのだ。 ***** 「糖原病(とうげんびょう)」という病名を

          小さなお兄ちゃん

          リレーで「自分」を抜き去ったあの日

          「運動神経抜群の人」 私は周囲にそう思われている。 アスリートとして活動して、引退後もトレーナー・インストラクターになり、スポーツ業界には長く携わった。今も、筋トレは趣味のひとつだ。 シングルマザーは、毎日が体力勝負。 滅多に風邪をひかない肉体は、私の武器だ。 しかし実は、子ども時代は全く運動ができなかった。 いわゆる「運動音痴」だったのだ。 ● ● ● 体格は標準だった。 運動会、ぽっちゃりと体格のよい子供たちがかけっこ競技で遅れをとる中、さらにその後ろを走って

          リレーで「自分」を抜き去ったあの日

          コテツの浪漫

          コテツという言葉、ご存知だろうか。 いや、そんな血に飢えたのではなく。 新日本プロレスの鬼軍曹でもない。 「子鉄」と書く。 子どもながらにして鉄道を愛してやまない男たち。 そんな謎の生物が、我が息子たちなのだ。 ◎◎◎ 電車好きに仕向けるようなことは一切なかった。 彼らは自ら、数あるオモチャの中で、電車を選んだ。 誰に教わったわけでもなく、床に寝ころび、車輪を堪能する。 長男から次男へと引き継がれた伝統のスタイルだ。 長男は電動派、次男は手転がし派。 長男はレー

          祖父と竹トンボと私

          「きれいなお嬢さんがいらっしゃった。今日はどちらから?」 3年前のある日、私は房総半島の奥地で突然、ナンパされた。 モテ自慢ではない。 手を握って私を口説いていたのは祖父だった。 認知症を患い、私が自分の孫なのも分からなくなった、最晩年の祖父だった。 (間に合わなかった) そう思った。祖父の中にもう、私はいない。蘇ることもない。 でも、そうではなかった。 この時、祖父から孫として、最後の贈り物をもらった。 大好きだった、ちょっと変わった祖父のことを書いておこうと思う。

          祖父と竹トンボと私