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人生を軽やかに、シンプルにしていきたいのなら。

今朝、夢を見ました。

自分の店ではない、どこか大きなレストランで私は働いていて、日本人の家族連れのテーブルを担当していました。
でも、何もかもに手間取って、オーダーされたドリンクや食事が、いつまでたっても出せずにいて、あたふたしていました。お腹をすかせているだろう、小さな子供たちのいる、その家族のことを考えて、いたたまれなくなっていたのです。


現実で、さんざんやっているせいか、レストランに関する夢なんて、ほとんど見たことがないのに、これは不思議。

夢は、どんな夢を見るか、よりも、その夢を見てどんな感情になったかにフォーカスしてみるといい、ってどこかに書いてありましたが・・・

目が覚めてすぐに思ったのは、

罪の意識が、解放されたがっているんだな、

ということでした。

そして夕べ、(こちらは夢でなくて、リアルで)来店して下さったお客様への対応へ、私自身、心残りがあったことを思い出しました。

接客していると(ふだんの暮らしの中ででもですが)、

「あの時、こうしてあげれば良かった」

と振り返ることがたくさんあります。

もちろん、そういったことがただシンプルな事実として、次へのステップアップ要素で自分に刻まれるのなら、それは良い振り返りですし、必要なことです。
けれど、たいていの場合、いつまでも残る後悔や、自責といった感情を 一緒に連れてきたりするものです。

だから、私はそんな時、「その時の自分の最善を尽くした」、と自分にいつも言ってあげます。
そして、全体の調和にとって、すべては完璧だったのだ、と。
宇宙の采配は人智を超えて、いつも完璧なのですから。


「こうしてあげれば良かった」

という小さな罪の意識が、知らず知らずのうちに積み重なって、心に沈んでいたと分かりました。
それが、夢となって出てきて教えてくれたのです。

すると、自分をいたわってあげたい、という優しい気持ちになりました。

こんな「罪」の意識を心のどこかに持って、暮らしていたんだね、
よく頑張ってきたね、もう、解放してあげようね。

その「罪の意識」を、カラダで感じると、のどの辺りがきゅっとしました。胸の辺りが重く、緊張しているのが分かりました。

しばらくの間、静かに感じていると、目の奥が温かくなって、涙が滲んできました。

そして、この「罪の意識」と、ずい分長い間、一緒にいたのだということに気がついたのです。何をするにも、自分が自分でいてはいけないと言い続け、私を追いかけてきた「罪悪感」です。

こんな重いものを、私は自分の心の中に住まわせていたのかと思いました。ですが、それも、これまでの私には、必要だったのでしょう。
必要のないものなど、この世には存在しないのですから。

「罪の意識」、「罪悪感」、という、照らしてみれば、こんな不思議な、私たちにはまったくもってそぐわない感覚を、体験してみたかったのでしょう。

今までありがとう、
とそれに言いました。
時間をかけて、呼吸とともに、解放しました。
流れてゆく雲のように見送ったのです。

罪の感覚を用いてクリエイトされる現実も、もう、これからは無くなっていくでしょう。

感情が動いたとき、
それはチャンスです。

自分の創る人生を、どんどん軽やかに、シンプルにしていきたいのなら、

出てきた感情を、時間をとって見つめ、
カラダで感じつくし、
解放してあげる。

それが自分への大きないたわりでもあります。

感情との丁寧な関わりも、自分を愛することなのです。







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