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改めて、引き寄せの法則って何?

数年前、
私はとても退屈だった。

毎日、淡々と、不平不満もなく暮らしていたつもりだったが、退屈だった。

大好きな「書く」ということにさえ興味を失い、1年間まったく書いていなかった。

そんなとき、ある人に「引き寄せの法則は、この世で生きる便利なツールだよ、お金がそうであるようにね」と言われ、また、そのことについて書いてみるように勧められた。

それで始めたのがこのnote。

この法則については、たくさんの本が出版されていて、私もビジネスを始めてからは、様々な自己啓発の本と一緒にお世話になった。だから目新しいものではないけれど、これまでの自分の体験と一緒に書いていったら、面白いかな、と思った。

さて、今、私が、引き寄せの法則について、シンプルに思うのは、それは「エネルギーについてのこと」だということ。

自分自身が、自分の欲しいものと一致するエネルギーであること。

代えていうなら、自分のまとうエネルギーにマッチしたものが引き寄せられてくる。私たちはエネルギー使いなのだ。

そう、すでに、意識しようとしまいと、引き寄せの法則の中に生きている。

だから引き寄せの法則の大御所、エイブラハムがいつも、いつも言っているのは、「いい気分でいなさい」、
それだけだ。

だって、「いい気分」だよね、
願いが叶ったときって。

「いい気分」って、
喜び
穏やかさ
明るさ

そのエネルギーを育ててくれるのが、セルフラブ、自分を愛することなんだと、noteを書いているうちに気づいた。

それで、私のnoteのメインテーマは、引き寄せから、セルフラブになった。

自分を愛せば愛するほど、内側にあるものが輝きを増してくる。
愛することで、自分の中にあった原石が磨かれていく。

始めは表面的な自尊心や、欲求が満たされる。
癒しが起こり、そしていづれ、
何が起ころうと、起こるまいと関係なく、平安や喜びの存在が姿を現してくる。

そのエネルギーが、今、目の前にある状況を、そのままに受け入れることを可能にする。

何かを欲しがりつづけることと、今のあるがままを受け入れられることと、どちらが「いい気分」でいられるだろう?

引き寄せの法則は、何かに執着し続けることではない。

欲しいものは いいな〜と思って手放す。
その思いは、軽ければ軽いほどいい。

それはいつか芽を出す。
いつなのか、それは宇宙の采配。
いつ来るのかと、不安になるのは、せっかく植えた種を掘り起こすこと。

いつか来るであろうその時を、楽しみにしながら、それを忘れる。
手放す。
だって、私たちは「今」に生きている。
「今」に満たされていながら、どうして過去に願った望みをずっと抱えていられるだろう?

どうしても欲しい、
それじゃなきゃだめだ。

それはマインドの声、と見抜く。

引き寄せが、マインド強化運動にならないように、

「誰がそう言ってるの?」と聞いてみる・・・。



私は昔から 「欲しい」という感情に素直だった。

欲しい、と欲するのに 叶えられないのは 何て理不尽なんだろう、
神様はわざわざそんな感情を 私たちに与えるはずがないに決まっている、そう考えていた。

どんな感情も、出てきたなら好奇心を持って眺めてみるといい。
それが何を言っているのか、聞いてみてあげるといい。

小さい頃に感じたもどかしさ、
泣いていた自分が話かけてくるかもしれない。
歯痒さ、
言葉にできない、
どうやって表現すればいいのかわからないまま、大人たちは子供の「それ」を見過ごしていく。
「子供なんだから」と軽くいなされていくのを感じて、
どうしようも出来なかったけれど、
私は、それを大人になっても覚えておこうと思った。
子供の頃に感じた「かけら」を、大人になっても覚えておこうと思ったのだ。


鬼束ちひろの「月光」を聞いた時は、鳥肌が立つほど驚いた。
そうだ、私が感じていたのはこれなんだ、と。

I am GOD'S CHILD
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない

この歌を耳にして、何年経っただろう。

私は、自分の心の中にある、本来から備わっている輝き。
その輝きにふさわしい自分であることを選ぶことにした。

簡単なことだ。

瞬間、瞬間、それを選べばいい。

そしていつか、選ぶまでもなく、自分がその輝きそのものであることを知っていくだろう。

引き寄せの法則を語るまでもなく、見出された私たちの輝きが、奇跡を奇跡とも思わせない方法で、願いを叶えてくれるだろう。


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