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母と、蘭の花

先週、蘭の話を書いたけれど、私は長い間、蘭をさして好きでもなかった。

ちょっとお高くとまりすぎじゃない、貴女?
香りも、うちに閉じ込めて、とっつきにくいじゃない?
そもそもいったい、どこからやって来たの?


私は昔から野の花が大好きだった。
自分の日常に、いつのまにかいてくれる花たちが好きだった。

もちろん、お店に飾るには野の花、というわけにはいかない。
お花屋さんでピンときたものを選んで、それを帰ってから、これまたピンときた花瓶に飾る。

私は、お花を習ったことはないけれど、小さい頃から、家の玄関と床の間にはいつも花が活けてあった。
母が好きだったのだ。

私は、その花を見るともなしに、見て育っていた。だから、自分がお店を開いてから、お花を活けることが、自分を喜ばせることを発見したんだろう。

お花の咲き具合や、茎がもつカーブや、色を生かしながら、一期一会のお花との出会いを楽しむことを。

活けたお花を写真に撮って母に送ると、母はとても喜んでくれた。

「私がお花をこんなに楽しめるようになったのは、お母さんのおかげよ。いつも家にお花を飾ってくれていたでしょう?」

私がそう言っても、母は首を傾げた。
「そんなことないわよ、私のおかげだなんて」
と、いつものように謙遜した。

小学校の低学年の頃に、私の書いた詩が、学校の校門の横にある、掲示板に張られたことがあった。

コスモスのことを書いた詩だった。

詳しくは忘れてしまったけど、母と一緒に庭のコスモスを眺めている詩。
お母さんが大好きなコスモスを、私も大好き、そんな詩だった。
ピンクのコスモスの挿絵を、誰かがその詩に添えてくれていたっけ。

晩年に、腰の骨を折って、入院していた母が戻ってくる日には、私は日本に戻り、母のベッドの脇にやはり、お花を活けた。

10分くらい車で走ったところに、様々な種類のお花が一本から売っている、洒落た花屋を見つけたのだ。
義姉に頼んで、連れて行ってもらった。
実家のある小さな町には、お花屋さんはもうなくなっていて、透明のラップに包まれた束のお花が、スーパーで売ってあるだけだったから、とても嬉しかった。

病院から家に戻って来た母は、花を見て、
「わあ!」
と歓声を上げた。
「とても華やかね、心が明るくなるね」、
と喜んで、ベッドからずっと、花を見守っていてくれた。


写真家の友人が撮った花の写真を貰ったので、それを私は、母の誕生日に送った。
「今までで一番大好きな、アメリカからのプレゼントよ」と言われた時には、複雑な気持ちもしたけれど、
でも、それからはずっとお花のカードや写真、本を送ることにした。お花の宅配便も利用した。

「心が明るくなる」
母は、それだけを望んで晩年を過ごしていて、それをお花に頼っていたのだろう。

私が母に会うために、日本に戻るときは、私はいつも蘭を店に飾った。
それは、蘭が、長くもつからだ。花の新鮮なのを手に入れれば、それは数か月は楽しませてくれる。
そのあいだ、私はお花の世話をしなくてもすむ。

そして、蘭をお店に招き入れるようになって、気づいたのだけど、人々は蘭を高級感のあるお花として、とても喜んでくれる。私としては、切り花を何度も買うより、長持ちのする蘭の方が結果的には経済的なのだけど。

私の活けるお花も、常連のお客さんは、それを楽しみにもしてくれていたけれど、蘭は強くて、茎がしなっとなったり、お花がどこかに向いたりしないので、一度購入すれば、ほとんど手入れがいらない。
それで私は、蘭をお店の常連にするようになった。

そして、蘭を購入するうちに、私は蘭ととても仲良しになってしまった。

店で飾った、花が落ちたあとの蘭の数々は、今、自宅にある。茎をできるだけ根本で切って、置いておくと、いつの間にか次の花を咲かせてくれた。
それが嬉しくて。

ある時など、日本からひと月ぶりに戻って来ると、机の上の蘭のつぼみが大きく膨らんでいた。
それは、まるまるとふくよかで、あたたかさに満ち、母性を感じさせた。

蘭はいつの間にか私の生活の一部になっていた。
散歩や、庭に出れば迎えてくれる、野の花のように。

実家に蘭が飾られていたのを見たことはない。

母も、また、自身で花を活ける、という行程を楽しむ人だったから。
でも、ひょっとすると、彼女には高価すぎると思えて、ふだん、家に飾るものではなかったかもしれない。

私は、私が思いもかけず、好きになってしまった蘭について、母と話してみたかったと、今、思う。

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