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深層意識で信じるものを見つける

深層意識で自分が信じているものを、知るのは大切なことですと前回に書きました。

お金に関することで言えば、これまでのお金にまつわる体験、両親や他の誰かから受け継いだお金の価値観等が 知らないうちに自分のものになって、それが現在のマインドセットとして作用し、人生が展開していくからです。

どんなに自分が望んでいるものがあったとしても、自分が根底で信じているものが その望みに反していれば叶えることはできないのです。

簡単な例をあげれば、もし自分がもっと優しい人になりたいと望んでいたとします。けれど、深層意識で「優しいだけでは人生生きていけない」、「優しさは人につけこまれる」などと信じているかもしれません。だとすれば、自分の望む優しさには辿りつけないでしょう。

深層意識で私たちが何を信じているのかを知るのは、時に難しいことがあります。それは玉ねぎの皮のように 多くのこれまでの経験から生まれた信念、概念で形成されているからです。

一枚一枚剥がしていったとしても、そのコアに辿り着かなければなりません。

子供の頃に体験した豊かさを書いてみる


この本は、私が自分とお金の関係について考え始めた初期に読みました。

ボリュームのある本ですが、時々パッと開いた箇所を読んでみることで、インスピレーションをたくさん与えてもらい、お金のEQ(お金に対する感性)を育て、深層意識にあるものを見つけるために 私にはとても役立ちました。

この本の中に、子供の頃に体験した豊かさを書き出す、というワークがあったのです。

前述したように、子供の頃のお金や豊かさの体験は、その後の人生の基盤となる設定を作り上げますから、このワークはとても意味があると思いました。

それなのに私は初め、このワークに取り組む気がありませんでした。何故なら、自分にはそのような豊かな体験はなかったと ずっと信じていたからです。

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私の母は「お金がない」が口癖でした。

ですからずっと、うちはお金がないんだ、と信じていました。

私の幼少の思い出は、その言葉でくくられた, 豊かでないものが多かったのです。

けれどどうしたことか、ある日ふとそのワークをやってみようと思い立ち、ノートに向かいました。

子供の頃に体験した豊かさを書いてみる
始めはなかなか書き出せないでいました。

それでも小さな豊かさを見つけて フォーカスしていくうちに 泉のようにどんどん出てきました。

驚くことに何ページも書けるほどだったのです。

書き出したものを読み返してみると、「本当に自分の家はお金がなかったのだろうか」と疑問にさえ思えてきました。

日常に転がっているささやかな豊かさですが、思い出していくうちに、私の心の中は温かなものに満たされ、何とも言えない喜びに包まれたのです。


私は豊かで、恵まれていたんだ、と気づき、どうしてこれまでこの豊かさを忘れていたのかを不思議に思いました。

この体験は、私にとって自分の内側の豊さにアクセスする大きなきっかけになったと思います。自分の内なる豊さの感覚を育てずに、豊かさを引き寄せることはできないからです。


核となる信念に辿り着く


このワークをしたことが呼び水となって、幼い頃の体験がどんどん思い出されました。

そして思い出の中に見つけた、ある体験から生まれた信念こそが 実は私にとって玉ねぎの中心(深層意識に潜んでいた信念)になるものだったのです。


たしか小学校に上がったころのことでしょうか。友達と二人でお稽古事に行った帰りに、近所のよく知った女性が 私たちにおこずかいをくれました。

当時の私には大きな金額でした。

それで近所の駄菓子屋さんに寄って、私は以前からずっと欲しかったものを その貰ったお金を全部使って買いました。

一方、友達はわずかなものしか買いませんでした。

家に戻る途中で友達から、お金を使い切ってしまった私に「どうして無駄遣いをするのか」となじられたことにびっくりしましたが、家に帰るとやはり母にひどく叱られました。

そしてお金を使わなかった友人を褒めました。

それがおそらく私のはじめてのお金の体験だったと思います。


母は私のお尻を叩いて叱ったので、それは私にとって最上級の罰でした。(後にも先にも母から叩かれたのはその時だけです)。

母はその状況を利用して、私にお金の大切さを教えたかったに違いありません。

けれど母の思惑に関わらず、彼女の行動は私に、私はそれだけのお金を使うほど価値がない、というメッセージを強く植え付けることになったのです。

それがその後の私の自尊心の低さを形成した一つの要因だったと気がつきました。

自尊心の低さは、人に「自分はそれに値しない」という信念を根底に作り出し、お金だけでなく人間関係や自分自身との関係に大きく影響することは誰でも想像がつくでしょう。するとどんなに努力しても現実は「自分はそれに値しない」という信念に従ったものが現れてくるのです。

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古代メキシコの教え、トルティックでは、こうした親や、社会から知らず知らずのうちに教え込まれた信念や概念を「飼いならし」と呼んでいます。

私たちはそれがどんな考えであっても、「飼いならし」なしで育つことはあり得ません。自分ではない、他の誰かの考えに沿って、私たちは育つのです。

けれど、成長して大人になっていくにつれて、私たちはその「飼いならし」から自由になり、今度は自分の選んだもので 自分の人生を作っていかなければならない、と伝えています。

これまで学んだものを 捨てていく勇気が必要なのです。


自分の可能性を開くときに


新しいことにチャレンジする機会が訪れたり、自分の可能性を拡げて、新たな世界を見てみたいと望むなら、自分の信念がその望みの妨げになっていないか、自分が何を信じているのかをよく見てみることが大切です。

子供のころの豊かさの体験を書き出したことは、私にとってとても有効でした。

自分が小さかった頃、どんな風に世界を見ていたか、感じていたかが蘇り、その時の自分が、思い出す必要のあるものを思い出すことができたと思います。そしてお金との関係だけでなく、自分自身を大切に扱う、という領域にまで深く踏み込むことを私自身に許すことができたのです。

前述のトルティックの教えでは、感情をストーカーすることで、自分が本当には何を信じているかに気づく、という方法を紹介していてます。それはまた次回に。

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