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とある上場企業役員の60年間 アメリカ留学編②「パーティー」

パーティー、パーティー、パーティー

 アメリカの大学院(大学なども同じだと思います)の新学期は、8月の終わりまたは9月から始まります。それまでの間は連日連夜パーティーがあちこちで開催されていましたので、できるだけ出席するようにしました(今はパーティー嫌いなのに、若かったとしか言いようがありません)。
 キャンパス内のパーティーや近隣住民によるパーティー、領事館?主催のパーティー、近隣マンション主催のパーティーなど、映画で見たようなシーンが繰り広げられていて、とにかくワクワクしていました。そのころ日本はバブル期だったこともあって、海外留学している学生や社会人がとても多く、アメリカ人と挨拶すると「また日本人か!(Japanese again!)」とよく言われるほどでした。

 パーティーは本当に楽しく、色んな友達ができました。オハイオ州出身でジャパンクラブ(日本大好きが集まったクラブ)会長かつ催眠術師のT、とても背が高くて会うといつも満面の笑みを返してくれたP、反日的でいつも真珠湾攻撃の話をしてきたのでカフェで大激論したM(最後は納得してくれた)、ナイスガイでBBQに誘ってくれたMK、ベルギー人で当初は一番仲良くなったけど1学期で他の大学院に転向したJ、女優のように背が高くて超美人だったFなど、欧米人の友達がたくさんできました。
 日本人・アジアの仲良しグループもできて、パーティーバタフライと言われたN、その友達で超お嬢様のY(付き合う事になります)、貿易大学校時代からの親友R、台湾人でサモハン・キンポーみたいな体形のH、とてもフレンドリーで可愛らしかったL、そのLが大好きだった(恐らく今でいうLGBTQ+でした)Bなど、いつも一緒に飲んでいたような記憶があります。

下ネタは世界共通語!

 ジャパンクラブ会長で催眠術師のTとは、確かどこかのパーティーで出会って、最初はお互いにちょっと距離を置いた感じでしたが、領事参加のパーティーか何かで長時間話すことになり、私がアメリカのTV番組について下ネタチックな話をすると(ちょっと宗教的なことも絡むのでここでは記載しないです)、Tはものすごく大笑いして、「今日のこの話は絶対に忘れない」と言ってくれました。彼との親交はその後も続き、私の結婚式にも出席してくれました。下ネタは世界共通で大笑いできるんだと認識した夜でした。

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