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土着の意識

今の田舎の家に引っ越してから変わったことがある。

わたしは今まで10年以上一人暮らしをしているが、断捨離が趣味でミニマリストぎみだったので、最低限のもの以外ほとんど物を買わなかった。

もともと落ち着きがなくてフットワークが軽いので、「自分の場所」を家に求めたこともなかったし、どこに住んでもそれなりに気にいるのだが、ずっと仮暮らしの意識がついてまわった。

どうせ長く住まないのだからと部屋はいつも殺風景で、装飾品の類はいっさい買ったことがなかった。 

でも、今の家に引っ越してまだ一年弱なのにもかかわらず、今までには買わなかったような無駄な物がどんどん部屋に増えていることに気づいた。


気まぐれでやり始めたDIYのためのペンキ、やったことがなかった料理用の調理器具、何十万もしたキャンプ道具、zoom用に作ったスペースのためのタペストリー、観葉植物、推しのTシャツ、ハリーポッター施設で買った杖(およそいつもなら絶対に買わないものの最たる物。笑)、ログハウスの写真をあつめたカレンダー、絵画、絵を描きたいときの画用紙、色鉛筆、大人の塗り絵、そのほかにもたくさんだ。

かつて生きていくのに必要最低限のものしかなかったわたしの生活スペースは、見渡せばおよそ無駄だらけだけれども気分が上がるようなだいすきなもので埋められていて、人が住んでいる気配のあるとても心落ち着く場所へ変わっていた。

例外なく、どこの家でも実家にごちゃごちゃと物がおおいのはなぜだろうか。

それは無意識でも「ここが自分の居場所だ」という帰属意識と「ここにいてもいいんだ」という安心感が強いからなんじゃないかなと思う。

わたしは実家を出て一人暮らしをはじめてから、自分の居場所がさだまらなくなっていて、自分の住んでいる空間に好きな物を置くことすらずっとできなくなっていたことにその時気づいた。


シンプルな空間は気に入っていたけど、わたしのものではなかったのだ。


このnoteに何回か書いているが、今の家は引っ越した瞬間から空気がすごく自分に合っていて、安心感が違った。上手く言えないけど「土地自体が好きだ」と思ったのである。

だから根拠のない「ここにいてもいいんだ」という安心感が、安住の地としてここに住むことを自分に許すことができた気がする。


たまに増えすぎた物や、何に使うかわからないものを見ては、「これどうすんのかな笑」と思うのだが、一つ一つがわたしを構成する必要なものとして存在してくれていて、それらをみるたび安心してこの場所にいられるようになった自分のことを微笑ましく思うのである。

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