Black Treasure Box3

すぐさま部屋を飛び出そうとして、一度思い止まった。
命令の内容を拒絶しようとしたのではない。
下着姿よりいくらかマシ、年来の親友で樹奈とのふたりでの自宅飲みだから許されたという砕けすぎた格好が、さすがにブレーキをかけたのだ。

寝室へとってかえし、クローゼットの奥から数年身につけていない真っ赤なジャケットや、デニムのホットパンツを引っ張り出した。
関西の方へお気に入りのバンドのコンサートに行った時に来たきりのものだ。
やはり教師などやっていると、プライベートでもそうそう派手な格好などできない。

そんなものをわざわざ選んだのは、教師である自分をせめてカムフラージュしようという意図からではなく、むしろ逆だ。
出来るだけ人目を引ける服装を、という一心だった。
マスクやサングラスを用いることさえ、微塵も思いつかなかった。
アプリからのメッセージ自体にはそんな要求は含まれていなかったにも関わらず、私はその意図するところを極力忠実に汲み取って実行しようとしていた。

出来るだけ人の多い場所で、かなう限りの注目を浴びて、恥ずかしい言葉を連呼しようというのだ。

着替えを終えて、私は一目散に玄関から駆け出した。
あやうく隣室の最波《もなみ》さんと衝突しそうになった。
「あら、先生」
特別不仲な訳ではないが、こんな時に出くわすには最悪の相手。
このマンションのゴシップ屋みたいな人で、当然というべきか、さっそく私の珍しくくだけた格好に着目した様子だった。

「どこかへお出かけですの。ええと」
派手な色使いにふとももを丸出しのスタイルを一通り眺め渡し、
「珍しいですよね、先生がそんなファッションは」
「ええ、これから町に出て大声で叫んでこようかと思って、おま×こって」
この場をどうはぐらかしたものか、そんなことを思うより早く、私は言っていた。
「え?」
「ですから、これから出来るだけ人目の集まるところで、おま×こって叫んでくるんです」
これ以上ないくらいストレートに、自分のしようとしていることを説明した。
なぜそんな必要があるのかと考えるより先にそうしなくてはいけなかった。

「すみません、それでは急ぎますので」
さすがに唖然と立ち尽くす最波さんを残して、早足でエレベータホールへ。
何ということを何という相手に。
そんな悔恨、絶望感もあとから沸いてくる。
このことは今日のうちにでもマンション中に、いや、その外にまで広められてしまうのだ。

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