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映画『哀れなるものたち』を観た。『哀れなるものたち』とは一体誰のことなのか。

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『哀れなるものたち』ヨルゴス・ランティモス監督・エマ・ストーン主演

これは行かねば、これは行っとかなアカンやつや、と思いつつなぜか行きそびれてしまっていた『哀れなるものたち』だが、知人が『これマジ凄いで。たぶんキミの好きそうな世界観やし、これはなにがあっても観とけ。ってか明日行ってこい』などと言うので、しょうがねえ、行っとくか、ということで休みの日だがちょっと早起きして行ってきました!ってか、もうすでに一日一回上映なのか。なんか巷ではもっと流行ってるような感じで聞いていたのだが、さてはまたしても鬼滅・・・(笑)。

~2時間半経過~

はい観てきました!
いやマジで凄い。ちょっと笑ってしまうくらい凄い。
なんというものを観せてくれやがるんだまったく。

映画はさしずめ女性版『フランケンシュタイン』のような雰囲気で始まる。モノクロで耽美な映像は往年のゴシックホラーのようだが、物語はここから凄まじい展開を見せるのだ。
とりあえずあらすじをざっと書いとくと

自ら命を絶った不幸な若き女性ベラは、天才外科医ゴッドウィンの手により”彼女が身ごもっていた胎児”の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。ゴッドウィンの庇護のもと日に日に回復するベラだったが、「世界を自分の目で見たい、体験したい」という強い欲望に駆られ、ヨーロッパ大陸横断の旅に出る。急速に、貪欲に世界を吸収していくベラは、やがて時代の偏見から解き放たれ、自分の力で真の自由と平等とを見つけていく。そんな中、ある報せを受け取ったベラは帰郷を決意するのだが──。

ということで、これだけ読むと『はあ・・・?』みたいに思う人もいるかもしれないが、まあこんなあらすじなど余裕でブッ飛ぶほどの強烈で刺激的な展開と凄まじい映像体験がそのあと待っているので安心してほしい。自分もこのあらすじくらいの予備知識で観に行ったのだが、開始数分で完全に『持っていかれて』しまった。そのあとはラストまで一気である。2時間半なんて一瞬。いやもう映画に蹂躙されるとはこのことかと。

そしてこれは観た人の誰もが言及してしまうと思うのだが、とにかく美術・衣装・デザインの全てがとんでもなく素晴らしい。これはもう圧倒的と言っていいほどで、豪華絢爛などという言葉では言い尽くせないほどの無敵の趣味の良さである。この伝統と前衛のエレガントな融合。『フェリーニが撮ったBarbieのようだ』との評を見たが、なるほど、時にグロテスク、時に悪趣味で露悪的、でもとてつもなく魅惑的な世界観はなんとなく共通しているところがあるような気もする。こんな映像体験はなかなか出来るものではない。これを体験するだけでも、この映画を観る価値があると言ってもいいくらいだ。

ちなみにこのとんでもない美術や建築の映像、さぞかしCGなども多用してるのかと思いきや、なんとほとんど全てセットでの撮影ということである。しかも聞くところによると、『歩いたら30分くらいかかる』超巨大なセットだったらしい。メイキングムービーをチラッと観たが凄すぎ。いやもう街一個作ってしもとるやないかと(笑)。船も建物もほぼ実寸だったのには驚いた。

あとはこの映画が放つ強烈なメッセージとブラックなアイロニーである。
我々はベラの体験を通じ、あ、そうか、言われてみれば確かにそうだわ、とこちらの固定観念や既成概念、通常の倫理や道徳規範などが次々と破壊されていくのを目の当たりにするのだが、これがまたなんとも爽快かつ痛快で、これはちょっと新しい体験だった。自分が洗い直されていく感覚とでも言おうか。

しかし、映画が進むうちに我々はふと思うのだ。あれ?これって要するに人類が歩んだ歴史なんじゃないかと。我々は人類が歩んだ歴史を観ているのではないかと。
そう、それはまるで人間を作った神が、その成長を見て楽しんでるかのように(時折入るスコープ映像なんかもそんな演出なような気もする)。

そして思うのだ。人類は今まで何をやってきたのかと。やはり人類はかくも愚かしく、かくも滑稽で、そして哀しいものなのではないかと。

『哀れなるものたち』とは、つまりはそういうことではないのかと。

面白い面白くないで言えばメチャクチャ面白い映画である。そしてパワフルな映画である。
演出や構図も見事で、全カット、全シーン必見だと思うが、個人的には各章ごとに入る扉絵のような画像に一際惹かれるものを感じた。これのポスターとかあったら欲しいくらいである。
あと、性描写の多さも話題のようだが、ここにも人類の滑稽さと哀しさが凝縮されているのでこれは必然だろうと思う。そう、こんなにも人類は色んな方法で入れたり出したりしているのだ。まったく我々はなにをやってんだか(笑)。

あと、書き忘れてたけど、この映画のダンスシーンは最高だ。ダンスとは、元来このように始まったのではないかと刮目すること請け合いである。人類は哀れかもしれないが、それでもやはり素晴らしいと思わせてくれる、まさに本能のダンスである。

#哀れなるものたち

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