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映画『PERFECT DAYS』木漏れ日から漏れ出す光と影、小確幸、そして新しい一日について。

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『PERFECT DAYS』ヴィム・ヴェンダース

ヴィム・ヴェンダースと言えば、その昔『ベルリン・天使の詩』(1988)を映画館で観て激しく感銘を受け、続く『時の翼にのって』(1994)、そして『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)を観て以来だから、劇場で観るヴェンダース映画としてはなんと25年ぶりである。今回は映画の概要を知った段階で『これは絶対観なアカンやつや』と決めていたので、結構前からずっと楽しみにしていたのだ。

というわけで正月早々早速観に行ってきました!

っていうか、正月休み中ということもあるのかもしれんが、思った以上の混雑ぶりである。うむむ、ヴェンダースって今でもこんなに人気あったのか。

~2時間経過~

いやあ、良かった。実に善きものを観せてもらったという感じである。

映画は東京都内で公衆トイレの清掃員として働く平山(役所広司)という男の日常を淡々と描くところから始まる。

(以下、若干のネタバレあり)

早朝、近所の老婆が掃く箒の音で目覚め、布団をきちんとたたみ、歯を磨き、ヒゲを剃る。育てている植木に水をやり、車で仕事に出かける。車が大通りに入ったところでカセットテープで音楽を聴く。現場に着き、トイレ掃除の仕事を丁寧に行う。仕事が終わると銭湯に行き、いつもの居酒屋で飲んでから家路につく。寝る前にはなじみの古本屋で買った文庫本を読みながら眠りにつく。

これがずっと繰り返されるのである。こう書くとなんだか退屈に思えるかもしれないが、これが実に味わい深い映像になっているのである。それは平山が玄関を出たところで見上げる空の色であったり、カーステレオから流れる音楽であったり、その時車の窓から見える街の風景であったり、昼休みの公園の木漏れ日からこぼれる光と影だったりと、まさに村上春樹が良く言うところの『小確幸』(小さいけれども、確かな幸福)を感じさせるシーンが実に瑞々しくも詩情豊かに立ち現れてくるので、全く退屈せずに観ることが出来るのだ。平山が時折見せる静かな微笑みとかすかな戸惑いの表情もまた絶妙で、セリフがほとんど無い分、より心情がダイレクトに伝わってくる。このあたりが役所広司のカンヌ受賞に繋がったとも言えるのではないだろうか。映画ならではの魅力とは、つまりはこういうことなのである。

ちなみに平山の部屋にはテレビも無く、スマホもネット環境も無い。あるのは本とラジカセとカセットテープのみである。観ながら『おお、このようなシンプルで質素な生活をいつかは我もしてみたいものだよのう』なんてちょっと憧れてしまったのだが、良く考えてみたら『いや、テレビやスマホは無くても良いがパソコンはやっぱり欲しい』とか『ラジカセじゃなくてレコードプレーヤーが良い』とか『文庫本よりハードカバーのほうが好きなんだよなあ』とか『銭湯はたまになら良いけど、毎日はちょっとなー』とか『コンビニ近所にあったっけ?』とかの邪念がふつふつと湧き出てしまい(笑)、結局自分にはこのような生活は無理かも、なんて思った次第だったりで。

まあそれはさておき、この僧侶のごとき質素な暮らし、そして小確幸を感じる日々、まさに『足るを知る』を地で行くような日常、それこそが『パーフェクトデイズ』ということかと思いきや、もちろんこの映画はそんな単純な話ではなく、後半はそのような繰り返しの日常が揺らぎはじめるような出来事が少しづつ起こり始める。

そこで平山が実は過去にかなりの紆余曲折というか、ある種の喪失感や痛みの記憶を抱えた人物であるということが示唆されるのだが、その時観客ははたと気づくのだ。平山の僧侶のような日常のルーティン、まるで華道や茶道の『所作』のごときものが、実は平山のそのような過去を封じ込める結界のような役割をしていたのではないだろうかと。しかしそのようなある意味閉じた世界にも次第に綻びが生じ、ついには決壊してしまう。そしてここでの役所広司の演技、これはもう圧巻の一言である(カメラマンが撮ってる途中で思わずもらい泣きをしてしまったらしい)。個人的には、おそらくこのような喪失感や痛みや挫折の記憶もまるごと引き受けた上で、それでも人生は素晴らしい、生きていくことは素晴らしいんだと自らに了承すること、自分なりの幸せを追い求めること、それらを含む全てが『パーフェクトデイズ』なのだとこのシーン、もしくはこの映画は言っているように感じた。この世界には全く同じ1日というものはなく、目の前には、自らの過去の全てが積み重なった『新しい1日』が常に開けているのである。

観たあとに色々と考えてしまう映画であり、世界の見え方が昨日とほんの少し違って見えるような映画でもある。世界を揺るがす超大作、というわけではないが、間違いなく傑作であると思う。作品が作られた経緯に利権の匂いがすると批判的な意見もあるようだが、それとこれとは話が違う。映画はあくまでも映画として評価しなければいけない。

ちなみに自分的にはラストシーンはもう少し短くても良かったかな、とも思う。そのほうがより余韻に浸れたような気がするんだよなあ。ラストシーンの途中、一瞬我に返りそうになってしまったからね、オレ(笑)。
 
#perfectdays  
#パーフェクトデイズ


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