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The letter for my father with my heart 亡き父への手紙

最愛の、親愛なるパパ


こちらの世界から、あなたのことを思い出さない日はなくて、会わなくなってからもう30年以上経っているのに、私の中には常にパパの存在があります。

私がパパのことをパパと呼んでいたのは幼少期。その後、別に暮らすようになり、会えない時間が長かったから、私の中の「パパ」の面影はそこで止まっている気がする。その後、病気になって伏せってからは毎日のように病院に通っていたけれど、昔のパパとの関係とはすっかり変わってしまっていました。

でも、だからこそ親愛の情を込めて、パパと呼ばせてください。

パパと書くと仲良しな親子と映るかもしれませんが、私に父の記憶は殆どありません。一緒に過ごせた時間はごくごく僅かでした。

パパとこの世でお別れしてから、私もたくさん出会いと別れを経験して来ました。別れの方が多かったように感じるのは氣のせいだね、だって出会いがなかったら別れはないのだから。別れは、どんな形であれ辛いけれど、別れがなければ私は成長してこられなかったのだろうね。


時代の変わり目


地球でのこの世の中は2年前からコロナ、ワクチン、パス、戦争・・・市井の人々の生活も、メンタルも、価値観もひっくり返りました。パパはお空からこの様子を見て憂慮しているか、それとも人間の愚かさに笑っているかな。

それとも、これだけ時間が経っているんだもの、どこかで生まれ変わっているのかもしれませんね。そうだとしたら、どこで?どんな風な人生を送っているのでしょうか。姿は変わっていても、会いたいと思ってしまいます。

確かに世の中は大きく揺れているけれど、私はこれは表層的な一部分という気がしてならないのです。それによって、お仕事を失ったり、家族が病気になったり、命に関わる大ごとになったり・・・事態は、そんなに静観して見られるほどシンプルではありません。でも、神様の視点から見たら、それを仕掛けている人たちでさえ、可愛い愛すべき命の一つなのでしょう。

そう思ったら、ただ哀しくなるだけ。全てを失ってしまった人には、なんと声をかけたら良いのでしょうか。この世は、まだまだそういったことで人生が左右されてしまう、そんな場所なのです。人の心が、こういったことを超えて強く優しく生きていくには、どうしたら良いのでしょうか。


人生の転機


世の中も揺れていますが、私自身も一昨年からどうも転換期に入っているようで、次々と、この世でいう災難に見舞われて来ました。きっと、天からは手に取るように見えているのだと思います。表向きには給料の未払いと人間関係の不和、信頼していた人との別離、愛猫の病気と介護、そして昨年のひき逃げ事故・・・他にもたくさんの変化を余儀なくされる出来事が立て続けに起こりました。

特に、事故について。身体が完全に動かせなくなった時は、人生に方向転換を促されている時。経験上、分かってはいたつもりでしたが、今回の一連の動きには、さすがに一時期落ち込み、パニック状態に陥りました。私はガーンと頭を石で殴られたような大きなショックと共に、呆然としたのち、息ができないほどのエモーションで窒息しそうになり、このことに意味を見つけなければ先に進めないと思いました。

特に私のように、身体を使う仕事をしている者にとっては、その身体が動かせなくなることは致命的なこと。それが起こったからには、きっと、いや絶対、そこには何らかのサインがあるはずです。私は、それを知りたいと思いました。それをしっかりと確かめて、私の人生をもっとより良く見つめることが、快復そのものの道でもあると考えています。だから、今一度、あなたへの手紙と共に、私の気持ちを綴っています。というよりも、もう今、私は気持ちが溢れて止まらないのです。

身体や心の変化と共に様々なことに気づく毎日、手からこぼれていった過去の時間が、かけがえのない愛に溢れていたということ。それがどんなにか真逆の、一般的には理解し難い状況であったとしても、です。

トラウマは悪いこと?


知っている人がこれを読んだら、私が今心を病んでる、鬱になっている、と感じられるかもしれません。確かに、私の落ち込みは尋常ではありませんでした。今も、完全に立ち直ったわけではないと思います。でも、自分と向き合って日々を過ごすこと、丁寧に自分の感じていることをすくい上げていくことが今の私には最重要課題で、もしかすると今、テーマや環境さえ違えど、同じように孤独や道無き道を歩んでいる同じような思いをしている同胞が世界の何処かにいるかもしれない、そう思うといてもたっても居られなくなりました。

過去に受けた傷、痛み、ショック、トラウマについては、ケアをしているつもりでも、身体(細胞や筋膜など体の組織)はその痛みを記憶して居て、元の状態に戻す、リリース(快復)することは容易ではありません。どんな方法が良いのか、どういった痛みがどのように蓄積され、今もストレスになっているのかは人それぞれ、全く違います。

例えば私は水にトラウマがあります。それはもう、覚えて居ないので何がきっかけになったのか、それとも前世の記憶が癒えていないのかは分かりませんが、幼少時から水がとても怖くて、顔に水をつけることができませんでした。未だにお風呂に入るのでさえ、怖いと感じることがあります。

心の痛みにも似たようなことが言えると思います。

父のこと


少し話が逸れてしまいました。私の父は50代半ばで病気で亡くなりました。数年の闘病生活の間、私は病院に通いましたが、正直にいって小学生であり、父とは別に住んでいた私はあまり実感もなく、病院に行くと大人たちがいてホッとする、誰かが話を聞いてくれるのが動機で、父がいつか、いなくなってしまうかもしれない、とは考えていませんでした。

父は寡黙で、私を見ても喜ぶような様子がなく、私は母親の手伝いをしながら夜まで一緒に過ごし、母と一緒に、または一人で帰宅していく毎日を過ごしていました。

当時は父は私に無関心なのだろうと、うっすらと考えていました。でも、年を経て親の立場になって考えられるようになってからは、父は私にどんな態度をとったら良いのかわからなかっただけで、表現することが下手だったのでは、と考えるようになりました。

パパの本心はどうなんだろうね。私は当時小学生で、引っ越したばかりで両親ともほぼ不在、クラスメイトたちに腫れ物を触るような態度を取られていたよ。とても孤独だったし、外で皆と遊ぶことも楽しいと思えなくなっていたから、一人で殻に閉じ篭るようになったのはあの辺りだったのだろうね。

先に出た、水のトラウマは、実は父が原因じゃないかって母に言われたことがあります。まだ本当に幼かった3歳未満のころ、父にプールサイドから体ごと放り投げられて溺れかけたことがあるそうです。もちろんすぐに助けてくれたそうですが、その後そのプールで当時流行っていた水疱瘡にかかったらしく、もしかするとトラウマってその時のことかもしれなくて、複雑な気もしますが父はわんぱくな兄とは対照的な私の扱いがよくわかっていなかったのではないかと今では思っています。

今の私から、父へ


そんなこんなで徒然なるままに書きました。

これは父親、パパに送る娘からのラブレター、心からの親愛の手紙です。全ては個人的なことばかりで自分の中にしまっておいて良いことですが、私は今まで全てをしまいこんで来ていて、今回溢れて来てパニックした時に、もう抱え込むのは無理と言うところに来ているのかもしれない、と思いました。だから思い切って公開することにしたのです。

パパが亡くなったのち、私は中学生になりました。まだ心はヒリヒリしていて、生活の変化に全然追いつけていなかったあの頃、母は一生懸命働いて食べさせてくれていましたし、文句など言うことはできなかったのです。でも、猛烈に寂しくて、その穴は埋まることを知らずにごっそり生々しく、私の胸を占めていました。その穴と向き合うのが怖くて、そっとそこに布でもかけて見ないふりをしたかったけれど、現実の生活はどんどん変化していったので、私はそのまま流されるように中学の3年間を終えました。

話が少し逸れますが、こういう時期を私は破壊の時期と呼んでいて、シヴァ神やスサノオ神が働いている、と考えています。人生の再構築の時期という意味です。シヴァは破壊のシンボルではありますが、破壊するだけでなく再生することが示唆される神さまです。人生に次々と問題が起こるとき、または時間やエネルギーをかけて構築していったものが崩れていく時、シヴァ神やスサノオ神が働いているのかもしれません。


心の渇きを文字に


このお話に続きがあるかは全く計画していません。また書きたくなったら続き、あるいは違う視点で書いていこうと思います。

コロナがきっかけで始めたノート。今後は私の体と感情について、そして愛について、猫についてなど、その軌跡を書いていきたいと考えています。

私は中学生の頃、自分の日記帳にカタルシス、と名付けていたことがありますが、まさに今書き綴っていることが、そのものという気がしてなりません。人間、中身はそう簡単には変わらないものですね。

画像は海が大好きだった父になぞらえ、いつか一緒にいきたいと思っていた海、そしてイルカを選んでみました。

皆様にとってこの変化の激しい時期が、難しさは変えられずとも暖かく、気付きに充ちた豊かな時間となりますように。そして愛に満たされていますように。ご感想などくださると力になります。繋がっていきましょう。



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