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異文化の中での楽しみ、毎日想うこと

シャルル・ドゴール空港に着いたら、スーツケース受け取りのレーンで待ちながら、明るくなったものだな、と一人呟く。
以前はこんなに外の光が入ってくる構造だっただろうか。
到着した日は、出発の人は打って変わってきれいな青空で、燦々と陽光が差し込んでいたドゴール空港は明るくて気持ち良かった。
それとも来年のオリンピックに備えて、あちこち新しくなっているうちのひとつなのだろうか。

最終便で成田を出発し、パリに着いたのは早朝であったが、空気はすでに秋の様相をまとっていた。
日本との気温差を考えると20度以上はありそうだ。
いっときは観光客がめっきり減って、ひっそりしていた郊外線のRER-B線に乗って帰宅するのが常なのだが、今回は初めて空港からタクシーを拾った。

タクシー乗り場には人員整理のため数人の要員が空港から出てくる乗客たちをさばいていて、列に並んで待って入るとあっという間にタクシーを割り当てられた。
何にしても日本よりも2倍3倍、待ち時間が長く、気が短い私はいつも気が立ちがちなのだが、こんなにいつもスムーズなパリだったら最高なのに、と思う。

タクシーの運ちゃんはアラブ系の黒人で、この仕事を始めて間もない、と言った。
自宅の住所を伝えると、知らないねー、と言いながらたどたどしい手つきでナビに入れ、お姉ちゃん、これよりもっと早い道知ってるなら、途中でいいから言ってよ、と言ってきた。
日本ならそんなことあまり言われないことだけれど、
ここはフランスだから、と言い聞かせながら、わかった、とだけ短く答える。
途中渋滞が何箇所もあり、思った約2倍の時間がかかったが、道順を伝えてその通りに行ってもらうのは途中で諦めた。
こちらでよくありがちなのだが、私が途中から諦めたのは、言っても無駄なことが多い、と言うこと。
逆に言えば、言うだけなら損はしないけれど、聞くか聞かないかは相手による、とも言うが、そのあたりはラテンの血が入ったフランス人、ということなのか、割と セ・パ・グラーブ (意味はドントウォーリーが近いけれど、どんな場面、関係性にも関係なく広く使える便利な言葉でもある)で済まされてしまう。(自分もまた使う)
C'est pas grave.
直訳は、大したことないよ、の意。

日本と全く違う文化の中で生きると言うことは、時に闘うことであり、時に諦めることであり、そして時々、ワクワクすることでもある。
まぁでも、大抵が怒ったり泣いたり、喚いたり、ふてたり、拗ねたり、というのは毎日あることなので、随分とたくましく鍛えられた。

私の住んでいる94県というところは、マグレブ系(アフリカ人、モロッコ系、イスラム教圏内の方達)の人が多く住む地域なので、多様性はまた、パリのそれと一味違う。
駅から徒歩10分の道なりには、店は一つもない。
駅を出たところにある小さな円形のスペースに、薬局とパン屋、スーパー、そしてケバブ(トルコのサンドイッチでこちらではファストフード的存在)があって、それ以降は何もない、国道のような道が続いている。

自宅のアパートを出て3分も歩かないすぐ隣には、水鳥がたくさん住む人工池が広がって入ることはとっても気に入っていて、パリにいた頃には見なかった可愛らしい鳥たちがバルコニーにちょくちょく遊びに来てくれる。
引っ越して良かったのは環境が静かでスペースが豊かにあること、そして自然が近くにあることだ。
ただ、鳥たちがせわしなく訪問してくれる以外に普段は来客はなく、夜も比較的静かなのは、よくもあり、ときに少し寂しく感じることもあるかもしれない。
パリにいる頃のようにフェット(大概はホームパーティーを広く捉えたもので、フェット自体はお祭りの意味、フランス人は誰かの家に色々持ち寄っておしゃべり中心に集まるのが好き)の音で寝付けない、というようなこともここに来てからは全くないのはありがたい。

郊外暮らしは、日本で言うところの郊外とはちょっと意味合いが違うと思っていて、この地域で日本人にほぼあったことはないので、自分はここにいると完全に異星人に近い外国人なのではあるけれど、時々その自覚をぽろっと忘れてしまうこともあるが、ここにいると常にアジア人であるがちゃんと税金を納めてる地元民でもある、ということは忘れないようにしている。
そうでないと、時々降ってかかる、移民に対する偏見や、または逆に人の優しさなんかに疎くなってしまうことがある気がするからだ。

ここの公園は、愛猫モミジを連れて週に数回散歩を共にした、思い出のたくさんある場所である。
モミジ亡き後も、折に触れてモミジを感じたくなるとこの辺りを歩く日々である。最近では郊外であるこの辺りでも、猫を散歩している姿を見かけることが以前よりも増えた。
私が散歩していた当時は、それはなんの動物ですか、猫?と聞いてくる人やわざわざ近くまで来て確認しにきたりもされたので、よっぽど珍しいのかと思ったけれど。猫も外に出て散歩するのは、コミュニケーションにもなるし、自然に触れるのが好きならば人にも猫にも良いことだと思っている。

※写真は近所で撮った鳥(鷺でしょうか)。
5メートルほど先に人間のようにスラーっと立っていて、よく見たら鳥でした。とぼけていてなんとも愛らしかったので載せましたが、ピンボケ気味でした。ご容赦ください。

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