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一番大事なことは、どこでより誰と生きるか&何を共有したいのか〜モミジモナムール7〜

【フランスで40代を過ごす外国人である私の日常】

こんにちは。
梅やボケの花が咲き、
湖に生息する白鳥をはじめとする水鳥たちがざわめき、
活気ついて来て、
可愛い姿をちらほらと見られるようになりました。


白鳥はこの時期、お母さん鳥が
子供が生まれるまで
何日も何日も忍耐強〜く動かずに、
巣に止まっている姿が見られます。
(うちの近所の人造湖なのですが、自然が豊かで
あまり手入れされていないところが逆に魅力な癒しスポットです)


たくさんの人が足を止めて
写真をパシパシ撮っているのが、
お母さん鳥の微妙な心に触れなければいいなと
思いながら心からエールを送っています。

その湖のほとりでモミのことも保護したのですが、
買い物や仕事に行く際に、保護した場所を毎日のように通っては、
モミの姿をその場所に重ね合わせるように、記憶を辿っては
モミに心で話しかけています。

今日まだフランスは日曜日ですが、
今日でモミがいなくなって9週間が経ちました。
私はやっと、9週間ぶりに、モミが旅立った当日
居た朝市に再度買い物に行くことができました。

そして、9週間ぶりのいつもの八百屋さんで野菜や果物を
買い求めました。
野菜や果物は12月とは売っているものがすっかり変わり、
今の季節はトピナンブールといって、
菊芋やごぼう(日本のゴボウとは種類が違うようです。
香りは日本のものが最高です)など根のものがたくさん出てきていました。
山菜などはでないので、この時期日本の筍やふきのとうなどとても懐かしく、いいなぁと思いを馳せてはふるさとロスになっています。
去年は、トピナンブールは免疫力を上げてくれるからといって、
鶏肉スープに混ぜて、モミにもたべさせたりしていました。
モミがいなくて、こんなところでも寂しいです。

モミジはほっそりスリムな体型で、足がしゅっと長い子でした。
ザ・猫!というような容姿だったと思います。
(私のイメージの中でですが)
保護した時は3キロあるかないか、といったところだったと思います。


当時は猫の生体のことをよく知らなかった私。
その当時、人間関係や仕事、人生の諸々が全て上手くいかない、
フラストレーションの溜まった生き方をしているところでした。
最近数人の知人と深い話をする機会があって思ったのですが、
男性に対してある思い込みがあってなかなかそれが解けないでいたのです。
ある関係性から来た歪みと言ってしまえば話は早いのですけれど、
それが、元パートナー、元自分の父親、上司、
長年生きて来た音楽業界のマッチョな人間関係など・・・・
そういうところから
育って来てしまった自分の歪んだ認知とか、
そうしないと生きて来られなかった・・・というような部分です。


【私の人生の大半を占める、音楽業界のお話し】


ここで、少しだけ音楽業界、についてお話しさせてもらいます。
現在はきっと変わっていると思いますし、
当時の私が思春期やそれ以降生きて来た世界が、
男性中心世界だったころの話です。
特にクラシック界、ジャズ界は強めと感じてました。
(あくまで個人的な意見です)

女性同士だとジェラシーなどが絡んだり、
思い込みで違う理解をされたり、
争いの対象になりがちなのに加えて、
生き残って行くための諸々が私は苦手で、
もちろん実力も伴っていなかったのですが、
メンタル的にこの業界にとどまることは難しいと感じていました。


練習の時間や制作の時間を作るには
体力と生活を支えて行くだけのバイタリティと財力が必要で、
私にはそれが残念なことに不足していて、
基本的に私の持っているものでは上手くいかないのだろう、
というジレンマをいつも抱えていました。


【フランスで外国人の女性として生きていく、そして生き残っていく】


きっと現代では色々なことが変化して来ていると思いますし、
講師業をさせていただいていて、男の子、女の子を見ていても
私が小さかった頃とは全く違っているのでほっとする部分と、
変えなければならない部分といろいろ感じながら接する毎日なのですが、
そんな中での、男性に対してと女性に対しての関係性。


難しいのは、フランスの社会というのは、
なんでもカップル単位で
数えられることが多い、という現実です。
誰かの家に呼ばれる時、
仕事などで何かの会合に参加する時(パーティ的なもの)、
オフィシャルな何かの会などに参加しようとすると、
大抵がカップルで参加が公認、というケースです。


そういう中で、独り身には肩身が狭くて、
なんで?
と思ってしまう場面が数え切れないほど経験して来ました。
そうしてできた価値観が、
男性にくっついて何かに参加する(潜り込む)という手段もありますが、
一人の時は相手はカップルでもなんでもない人だったりもします。
なかなか、その辺りの調整が難しかったのです。


【単身渡仏してくる心細さと戦いの裏舞台】


もともと、結婚してこちらに渡仏して来た人や、
独身が短い人などはあまり感じないでしょう。
そして、音楽やアート業界にずっと身を置いた人は、
その辺りの話に身に覚えがある方も少なくないのではないかと思います。


そんないわゆる、マッチョな気質のある世界
(私のいた世界が、の話です)
にいた私にとっては、
人間関係は息がつまるものでした。
日本をせっかく出て来て、
自由に息が吸えると思ったら、そうではない・・・という状況。


結局は、日本にいてもちょっと生きづらい、
と感じていた思春期からその後の私の人生は、
人間関係がうまくいっていなかった、
そして、愛情や情熱をかけられるものが
なかなか特定できなかったのだと思うのですが、
フランスにきてなお、それは自分に原因があるのだと思った時に
結構なショックを受けました。
(逆カルチャーショック的な)


【難しい関係のなかで唯一心のオアシスだった】


友人関係も、仕事もうまくいっていなかったその当時に、
モミジと出会って一目で気になり保護して。
私にとってモミジは、当時からずっとずっと、
家族であり、友人であり、私を待ってくれて
許してくれる唯一の存在だったのだと思います。


それまで暮らしてきた同じ環境で、
生き方や空気感や
過ごす時間の濃さや感情が、
徐々に、でもひっくり返るように
変わっていったのです。


そうか・・・
私にとってはそれまで、
自然のそばで生きる、仕事場のそばであること、
文化圏のそばである、(映画館、音楽会、カフェや人と集まるなんやかんやの機会)などは最重要なポイントでした。
音楽をやっているが故に、都心から大きくは離れられない。
本当は自然のそばに行きたかったのに。


モミがきてから、そこが一転しました。
もちろん、一日で逆転されたわけではありませんが。
どこに生きるかはとっても大切だけど、
誰と時間を過ごすかの方がきっと私にとっては大事なんだ。
ということを、
遅ればせながら腹の底から実感したのです。


そのくらい、モミが来てくれてからの私は、
少しずつ、人生が変わっていったのだろうと思います。


【ジェンダーを超えて、私として生きて繋がる】


話が戻りますが、
男性に対しての固定観念、が未だにもしかすると
あまりフラットでないのか?と自分に問うこともありますが、
フラットってなんだ?と思うと、これは自分の特性だと思うので、
男性だから話しやすい、とか、女性だから友人になる、という、
条件で繋がるわけではありません。
もちろんジェンダーは大事ですし、
私は女性同士の繋がりは
基本的にはとっても大切だと考えています。


でも、仲良くしたい、
この人にこのことが話せる、というトピックは
(内容によっては選ばざるを得ませんが)
私に取っては男女あまり関係ないのですよね。
だから、男友達の多めの女性もいるし、逆も然りなのだと。
私の場合、男性と忌憚なく話せる友人関係を持てるというのは、
さっぱりとしていてありがたいということも多く、
また、細やかで女性じゃないとわからない!
というないようなことは女友達に話すということを
して居ますが、
それで無意識にバランスを取って来たのだろうと思って居ます。


今日はモミの話とそうではない話が
ない交ぜな回になりましたが、
いつも主人公はモミです。
そこから見え隠れする私の心理や
日常生きていて感じるアレヤコレヤを書いてみました。


みなさんと大事な存在にとって、素晴らしい一週間となりますように。

モミジ、
みなさん、
おやすみなさい。

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