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人生初の就活とその行方〜オルタナティブな選択ばかりしてきた人のど正面な選択〜

オルタナティブな選択⁈

みなさんは普段どんな選択をしていますか?

僕は今までの選択多くがオルタナティブな選択だった。

しかし、それは意識して選んだものばかりでなかった。

時には(多くがかもしれないが)、取り敢えず選んだ選択が後から思えばオルタナティブな選択だったなんて事も少なくない。

ここまで読んでくださったみなさんは頭にきっとハテナが浮かんでる事でしょう。

オルタナティブな選択って何???

自分で書いててもよくわかりません笑

でも、そもそもオルタナティブとは「代替」という意味の単語で、ニュアンスとしては「今主流でない」ぐらいのイメージの言葉です。

ということは、オルタナティブな選択とは、普通は選ばないような選択と言い換えれると思います。

ここで大事なのは、皆んなが選んでる方じゃない方を選ぼうという動機でないという事です。

それはただのカウンターカルチャーですから。
(カウンターカルチャーを否定するつもりもここで是非を問うつもりもありませんが)

ではなく、自分が選んだ道が結果的に主流の選択でなかったというだけの話しなのです。

ただ、ここでいう主流の主語は全体の数から1番多かった選択を選んだ人たちですが。

言い換えれば、自分からすれば普通の選択だったりするものも、他の人からすればそうではない事も少なくない。

そんな中で、社会が、みんながという主語は何かを指しているようで殆どの場合実体を伴ってません。

なので、敢えて「そのシチュエーションにおいて、1番多かった選択肢を選んだ人たち」という結果論の集合体を主語としました。

閑話休題

始まりの時

ちょっと特殊な保育園からオルタナティブスクールを経て、高認で海外正規留学や高校時代の日中オルタナティブスクールで夜は演劇の学校というダブルスクール、コロナ禍で大学に求める講義をオンライン、キャンパスは僕が居る場所全てという学びのあり方の実践など大凡不思議な選択ばっかりが残った僕が先日自分でもビックリするような挑戦をしたので、ここに書き残しておこうと思う。

多分事の始まりは帰国してすぐの頃、僕はとある異分野交流会に参加して後の師匠と仰ぐ事になる人と出会った事から始まります。

それはまだコロナが世界に蔓延する前の頃でした。

師匠との出会いの話はまた今度書くとして、その師匠というのが実は公務員なんです。

あれから3年の月日が流れ、師弟関係になり、一緒に起業していろんな事があった。

そんな中で僕は公務員採用試験を受ける事にした。

自分でもビックリだ。

なんでそんな事になったのか?

多分言葉にしたらそれだけでもう不純になる気がするが、敢えて言語化していくなら、自分が社会に対してしたいと思っていることをする為の手段としてとても良い選択になると思ったからだ。

僕は今、障害学という学問を修める学生だが、僕がその中でも専門としているのが「社会的障害」というものだ。

もう少しわかりやすく言うと、社会にあるバリアについて学んでいる。

では、その社会の中に存在するバリアはいかにして生まれるのか?

それは、構造的な障害があるからだと主張するのが障害学という学問の視座だ。

システムや社会構造の中に障害が存在していて、その影響を受けた人たちが障害者として扱われているという「社会モデル」という考え方をベースに、障害について解き明かす学問である障害学とは、ある意味で構造を専門としてると言えるであろう。

(ちなみに、このnoteではあえて「障がい者」ではなく「障害者」と記している。諸説あるが、前述したように社会的障害の影響を受けた人たちのことを障害者と定義するなら、彼らは害を被っている側だ。障害者を障がい者と記す主たる理由は障がい者は社会の害ではないという主張によるものである。ならば、社会的障害の影響を受けた存在たちを表すものとして適当なものは障害という害を被っている者たち「障害者」とするのは決して見当違いな話ではないだろう。故に私は敢えて「障害者」とここでは記したい)

豊かさの在り方

物で溢れかえっている今(物質的豊かさのある社会)、多くの人たちが質的豊かさ(精神的豊かさ)を求めている。

これは、ある程度成熟した社会にとっては至極当然の動きである。

しかし、行政サービス、言い換えるならば公共のインフラストラクチャーは未だ物質的な技術職である、土木、水道、電気に限定されている。

今公共インフラに求められているものは、物理的なインフラに加えてソフト面におけるインフラストラクチャーではないのだろうか?

要するには、制度設計の専門家や、市民の声を聞く専門性をもった人材が公共インフラを支える必要があるのではないだろうか。

前述したように、僕の今の専門性はソフト面におけるインフラを整備するにあたってとても相性の良い専門性であるということが、端的な公務員の志望理由である。

僕は今まで、そういう仕組みは外の機関が担う物だと思ってきた。

実際そうやって活動されてる方はお見受けする。

しかし、マネタイズ(ここで言うマネタイズとは自身の持続可能な事業のあり方と生活を実現するための必要経費の捻出である)はいつも大きな課題として挙げられる。

だからこそ、海外ではNPOやNGOがこの部分をになっている事が多い。

しかし、日本は寄付文化でない事も影響して、NPOや NGOの規模と影響力が圧倒的に低い。

主訴 (本題)

では、考えてみよう。

もし、社会が成熟した結果、質的(精神的)豊かさを求めているのだとすると、それはその国に住む人の当然の権利に含まれる筈だ。

ならば、それは国が担うべき物である事は明白だろう。

故に僕は、公務員として取り組んでみたくなった。

そんな視点をくれたのは間違いなくうちの師匠だろう。

大凡公務員とは思えない働き方をしているうちの師匠の存在はとても大きい。
(ちなみに、ただアウトローな人ではなく、やる事をやりながら、それだけに収まらないという神業的なあり方を体現しているのがウチの師匠だ)

そして、何より僕は師匠と共に仕事をしてみたくなった。
(まあ、起業した方では一緒に仕事しているのだが…)

それが、今回僕が公務員採用試験を受けた理由だ。

そして、残念なことに、一次試験で落ちた。

これは示唆するものは、希望か、それとも絶望か。

それは神のみぞ知ることだが、いつかソフト面のインフラの重要性について理解のある自治体が出てくることを祈って。

今回はこの辺りで。

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