【愚痴】 「嫌い」が苦手という話


きらい【嫌い】
1 きらうこと。いやだと思うこと。また、そのさま。⇔好き。

『Weblio辞書』


 「嫌い」という言葉は、日常にありふれた言葉だと感じます。

 とても基本的な言葉で、さして意識することもなく、誰もが当たり前のように使っている言葉でしょう。

 その程度も様ざまで、何が何でもその存在が許せないほどの「嫌い」から、ちょっと苦手という程度の「嫌い」まで。
 幅広いニュアンスで、されど特に意識するでもなく、使い分けるともなしに使われているように見えます。

 そんな環境で生まれ育って生きているので、私もついつい慣れ親しんで染みついたその表現を、何の気なしに使ってしまうことがあります。
 でも、口にしてからすぐに、その言葉と感覚のギャップで気持ち悪くなります。

 ――私は「嫌い」が苦手です。


 私は「苦手」なものがたくさんあります。
 食べ物だと、カプサイシン系の辛いものや炭酸が痛いので苦手です。メンソールも強いものは、やっぱり痛いので苦手です。
 なので、食べ物ではありませんが、はみがきなんかも苦手です。
 においだと、洗剤やシャンプーのようなものから、化粧品や汗拭きシート、車内や煙草に至るまで、時に体長が悪くなるほど苦手なものが多いです。
 他にも、靴下が苦手です。薬が苦手です。他人ひとの不機嫌が苦手です。高い所が苦手です。通過電車の大きな音が苦手です。

 心身ともに過敏なところがあるようで、苦痛に感じてしまうものやことがとても多いです。
 同じものやことでも、気にならない場合もあったり、簡単に耐えられる時もあったりするけれど、やっぱり日常は苦痛で溢れています。
 私はこの世界に合っていないなどと、大仰なことを思ってしまうことも少なくありません……。

 でも、私はそんなたくさんの苦手なものやことを、「嫌い」と表現することに違和感があります。
 それはなんだか違う気がするのです。

 「嫌い」という表現や概念自体が間違っていると思うのではなく、ただ私の個人的な感覚として、それは違うと感じるのです。

 例えば――。
 好きなものや好きな人にだって、好きになれない部分や、苦手な部分や、許せない部分があったり、不満に思うことだって、憤ってしまうことだってあるけれど。
 でも、それは「嫌い」とは違うと感じるから。

 例えば――。
 辛い食べ物だって元は命で、誰かの頑張りの先で今ここにある物で、それを好きな人だっていて、そこには素敵さがあると思うから。
 不機嫌な人だって、そんな今に至るまでの過程があって、その人の人生があって、経験や価値観があって、たくさんの感じたものや思いがあって、不機嫌を理由に許されないことをしていたとしてもそれはそれとして、その人の全てもそこに至った思いも否定したくなんてないと思うから。

 だから、私は私に苦痛を与えるものであったとしても、それらを「嫌い」と表現することに違和感があります。
 どんなに「苦手」でも「嫌」と感じる部分があっても、「嫌い」というのとは違う気がするのです。


 もちろん、「嫌い」にだって価値はあると思います。

 ヒトは全てを受け入れられるほど強くはないから、自分にとって害となるものを避ける必要があると思います。
 だから、「嫌い」になるという機能が(結果的に)発達し備わっているのだと思います。
 ヒトは弱いから、何かを「嫌い」にならずには健康に生きていかれないのでしょう……。

 でも、私はそれが悲しいのです。
 「嫌い」によって何かが否定され、何かが傷つけられ、何かと何かが傷つけ合ってしまうことが、たまらなく悲しいと感じてしまうのです。

 ――私は「嫌い」が苦手です。


 そんな私にも一つだけ、「嫌い」と表現することがしっくりくるものがあります。

 それが「嫌い」な理由はいくらでも挙げられるけれど、そんな理由なんていらなくて、生理的に受け入れられなくて、問答無用で許せなくて、とにかく嫌で嫌で仕方がないものがあります。
 何をどうしようと、何が変わろうと、どんなに必要に迫られようと、私はそれを好きになりたくもありません。
 毎日欠かさず、それを否定する言葉を心の中で吐き続け、祈るように唱え続け、無意識化にまで刷り込むように日日のルーティーンとし、時に口にして否定する。
 私はそれを、はっきりと「嫌い」だと断言できます。

 それと比べれば、やはり他の全ては、どんなに苦手でも、許し難くても、憤りを感じても、「嫌い」ではないなと思うのです。

 ほんの最近まで、他にも嫌いと表現していたものもあるにはありましたが、やっぱりそれは違うと、今ではハッキリ思っています。

 私はそのたった一つの例外を除いて、他の全てを「嫌い」になることが恐らくできません。
 私はヒトとしての機能が正常に動作していない、不健全な欠陥品なのです。


 そんな私は、他人ひとが何かへの「嫌い」をあらわにしている様を見るのもとても苦手です。
 もちろん、ものにもよるし、その状況にもよるし、特に何も感じずにいられることもあります。

 でも、やっぱり私は他人ひと「嫌い」が苦手です。
 悲しくなります。苦しくなります。つらくなります。痛くなります。こわくなります。

 そして、この世界は「嫌い」であふれています。
 みんな当たり前のように何かを「嫌い」、何かを「嫌い」だと口に顔に表へ出します。
 それが普通で、健全で、正常で、正しくて、当然で、自然で、真っ当なことでしょう。何も間違っていないはずです。ヒトはそう在るべきだと思います。

 ただ――。
 欠陥品で、不健全で、異常で、狂っていて、歪んでいて、おかしくて、間違っていて、真っ当でない私は、この世界が苦手なのです。
 「嫌い」で満ちあふれたこの世界で生きるのが苦しいのです……。

 ――私は「嫌い」が苦手です。