見出し画像

#06 誰しも最初は何者でもない。何かになりたいなら、行動しかない。

誰もしも最初は何者でもない。

大人に名前をつけられ、初めて自分という存在を認識し、自我が徐々に産まれていく。

さまざまな環境を経て、自身の思考のクセや行動の質が変わっていく。

僕は今、何者なのだろう。

・アトツギとして親の元にUターンしてきた次男坊。
・京都ローカルベンチャースクールに参加している28歳。
・地元の経営者の方たちと交流を持ち始めたルーキー。


・・・


僕は何者になりたいのだろう。
上げた情報はただ単に他人に見られた際の僕自身のあり方。

では、僕自身が理想とする『よしおかなおき』とは?


・・・


僕の行動指針は『生きた証をこの世界に残したい』。
そのために、「感謝される数を増やしたい」。


僕は、幼い頃、長い入院生活を送っていたことがある。
「もしかして一生入院生活を送るのではないか?」なんて予想もしていた。

でも気がつけばそれも終わって、元気に走り回れる日々を送れるようになっていた。

でも、中学生の頃、右大腿骨に大きな腫瘍が見つかった。
そしてこの時「僕は20代前半で死ぬんだ」と思った。

それからは、すごく直感的に行動するようになった。
「どうせ20代で死ぬんだ。だから、自分が思う通りに生きてやろう」

とはいえ、引っ込み思案だった僕は何をするでもなく、ただただ平凡な日々を過ごした。理由は簡単。やりたいことなんて何もなかった。


・・・


「死ぬ気になれば何でもできる」

そう思っていた。

でも、実際自分の死期を感じると、逆に何もしたくなくなるのだ。

ただただ平凡に生きて、楽に暮らしていきたい。
毎日苦労することなく、スローライフを送りたい。

ただそれだけ。

でも、たった一つだけ。

「どうせ死ぬなら、僕自身の名前をどこかに刻みたい」

若くして死ぬとしても、せめて一つだけでも、生きた証をこの世に残したい。

そんな二極化した想いの中で、行動が揺れる。


・・・


結局、僕は何者になろうとしているのだろうか。

何かになろうとしなければ、世界は変わらない。

そして、その世界に自分はいない。

動くなら、今から。
世界は待ってなどくれないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?