会社役員を辞めた。「今」の足跡を残そう。

 こんにちは。なおきちです。都立高校で教壇に立ってから早6ヶ月。振り返ると僕自身の状況も大きく変化しておりますので、今回を貴重な機会と受け止め、久々にエッセイを書いていきたいと思います。

前置き

 これから書いていくエッセイは時系列も滅茶苦茶になるだろうし、明日にはケロッと忘れて違うことを言っているような代物だろうと思います。申し訳ないなという気持ちは若干ありますが、でもそれでもいいんです。人生に決まった道なんて1本も無くて、キャリアプランなんてくそくらえ、「今」思うことをやって「今」考えることをつらつらと書いていければ、振り返ったときにそれが足跡として繋がっているように1本の道として見えているだけだと思うのです。なので、この場くらいは好き勝手なことを言わせてください。

自己紹介

 まずはじめに軽く自己紹介をさせて頂きますと、現在25歳の無職です。都立高校を卒業後、明治大学政治経済学部政治学科に進学、大学在学中にIT分野で会社を立ち上げ、4年間にわたって(大学卒業後も)会社役員を務めてまいりました、という経歴です。

なぜエッセイを書こうと思ったか?

 今回、なぜエッセイを書こうと思ったかと言うと、7/31をもってその会社の役員を辞任したためです。つまるところ、経営者の肩書きを捨てたということになります。正直な所、自分がこれまで積み上げてきた物を手放すという決断は簡単ではなく、決断までに半年ほどの期間を要しました。その期間、企業が過渡期に入り、会社の経営状況や人間関係が目まぐるしく変化する中で、「このままここに居続けてはまた壊れてしまうよ」という心のサイレンが鳴り響いていました。僕は忙しい時には心のサイレンを無視して進行してしまいがちで、それにようやく気づいた形です。その結果、決断に長い期間を要したこととは相反するような急ピッチの速度で辞任まで漕ぎ着け、見事晴れて無職になった、ということになります。

ここからは自由に書いていきます。

 ついに、母校の理念「自主自律創造」の身となり、明治大学の建学理念「権利自由、独立自治」の精神をもって、文字通り「独立独歩」の道を歩んでいくぞと意気込むのも束の間、これまでの微々たる役員報酬15万(額面。そしてこれは僕のほぼ全収入であった)を全て手放してしまったので、実家のお世話になることは免れず「さてどうしようか」と頭を抱えているというのが現実です。

 (ただ、「辞任」という決断をしたお陰で肩にのしかかっていた「責任」という名の荷は解かれ、会社の体裁を全く気にすることなく自由に発言し行動できるようになったことは、これは何者にも代えがたい人間の権利であるとそう思うのです。)

 というわけで、僕自身は本日8/1をもって晴れて無職となったわけですが、5年以上もバイトとして置いてもらっている武田塾の講師や春先に開業届を出してゆるゆるとサイト制作やら集客支援やらで活動している個人事業主の立場を考えると、安易に無職と名乗っていいのか疑問符がつきます。でも僕は無職と名乗りたいので、無職ということに是非してください。

 6月に辞任の決断をしてから、右手の人差し指を上に突き立ててサービス名を叫ぶCMが話題の『ビズリーチ』なる転職サイトに登録して企業や転職エージェントと面談をしたり、「さてそろそろ学校の先生になる為に教員免許でも取ろうか」と通信制の大学たちの資料請求をして届いた書類を眺めたり、「大学の非常勤講師や客員教授って誰でもなれるんだっけ?」という淡い期待を胸に検索エンジンに文字を入力して出てきたGoogle先生からの回答結果に打ちのめされたり、なにやら不穏な動きを色々としております。無職回避の行動ですね。

 もちろんのことですが、時間を守れず週5×1日8時間なんて働けない人間がこの資本主義の労働市場で生き抜くのは簡単なことではなく、ハイクラス転職サイト『ビズリーチ』には僕のような人間を受け入れる求人なんて1つたりとも存在しておりませんでした。皆に笑われているうちが花かもしれません。そうして、無職回避はできず。

 一方その間、煩わしい辞任届に署名と捺印をしたり、辞任にあたってムダに高かった法人契約の携帯キャリアを解約して格安SIMに変更したり、社会保険から国民健康保険に切り替える手続きの準備をしたりと、こちらも着々とタスクをこなして辞任に向かって日々前進しておりました。面倒くさい作業ばかりで辟易し、「辞任を辞めてやろうか」という気分にもなったのですが、そこはグッとこらえて矛盾に打ち勝ちました。大きな功績です。

 実を言うと、僕らは共同代表という形で経営を始めました。ですが、僕自身は「代表理事」ではなくあくまで「専務理事」でしたので、僕自身に経営権はありませんでした。なので、いつ辞めてもOKな訳です。僕の双肩に巨額の負債がのしかかることもありません。ラッキー。

 というわけで、諸々の事務的な作業は会社員が転職する際に発生する作業とほとんど大差ないものと思いますが、僕が「面倒くさい作業ばかり」と書いた中では「引き継ぎ業務」が大半を占めております。零細企業の右腕が抱えていたありとあらゆる業務を、僕以外の誰かに引き継ぐことはそう容易なことではなく、普通に2ヶ月くらいはかかってしまいました。このあたりの煩雑な業務は自営業や会社経営をされたことのある方でないと肌感覚での理解が難しいかもしれませんが、兎にも角にも辞める最終日まで、抱えていた業務の吐き出しを続けていたということになります。

 さて、今後何をしていくか、全く決まっておりません。ただ1つはっきりしていることは、「本来進むべき道を外れても必ず生きる道はある」だろうと言うことだけです。これは、先般2月の職業講話で何やら背の高い若者(半年前の僕)が叫んでおりましたスローガンです。これだけは忘れてはならないと力説していたことを思い出します。

 「自己分析だ。」「学生時代に力を入れたことはなんだ。」「言語化だ。」などと四方八方から叫ばれる新卒就活市場が嫌で嫌でしょうがなくて意図的に道を踏み外した結果、皮肉なことに現場で磨かれた「自己分析」なるものの精度は日に日に増す一方であり、インターネットを活用したビジネスや「経営・教育・政治」に関連する事柄に関して言えば、大変得意で興味があって好きであります。もちろん資本主義の中で『価値(バリュー)』を出すことだって出来るのです。

 その一方で、所謂サラリーマンの方々が当たり前のように出来ることに関しては驚くほど出来ません。早寝早起きをする、時間を守る、約束を守る、忘れ物をしないとかいう小学生でも当たり前に出来るようなことも出来ず、スーツを着る、名刺を交換する、毎日決まった時刻に出社する、1日8時間働くと言った「社会人らしい振る舞い」なんて天と地がひっくり返ってもできないだろうと思います。でも「きっと本気を出せば出来るんじゃないか?」と思う自分もいて、命の危機に瀕したらもしかしたら一時的なら耐えられるかもしれません。ただ、それが長くは続かないこと、無理して長く続けたら鬱病になってしまうことも、5年前に「自己分析」は済んでいるのであります。

 21世紀の現代日本の労働市場では「欠陥品」として扱われてしまうはずの僕ですが、凸凹の特性を活かして誰かに貢献できないかな、と探し回って歩いている最中です。人間関係はきっとパズルのようなものでお互いがお互いの凸凹を補い合うから社会が回っているんだ、だからきっと僕のようなピースを求めてくれる人もいるはずだと、半ば幻想を抱きながら日々を過ごしております。他力本願バンザイ。こんなふうにエッセイを書いて、誰かに自分の考え方を伝えて、その人の生きる活力が生まれて、そうやって生きていけたらそれもまた一興だなと思う自分もいます。最近は大学の非常勤講師でアナキストの方の本を読んで勇気をもらっております。

 そんなこんなで、経済合理性なんて投げ捨ててギブアンドテイクなんて無視して、ぜひ年齢性別問わずオフラインでお話できる方が1人でもいらっしゃったら、ご連絡頂けますと幸いです。もちろん見返りなんて期待しませんし、僕からの見返りも期待しないでください。前述の通り、時間や約束を守る保証なんてものは一切ないですが、それでもよければお話できたら嬉しいです。そろそろ疲れてきたので、ここで筆を置かせていただきます。

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