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九州ばぁちゃんとポメラニアンの想ひ出。

中学卒業してすぐ飴工場に就職する事になった。
母と妹。ポメラニアン2匹も飼っていた。
文化住宅の一階の1番端。
風呂付きだった。
シャワーはない。

ある日、福岡のおばあちゃんが泊まりにくる事になった。
小学生の時、母が入院したときにも心配して九州ばあちゃんは泊まりに来た。
その時は風呂もついていない文化住宅の2階。
その時はネコがいっぱいいた。

広島にいた時、空き地で拾った白ネコの「たま」
大阪にトラックでタマも一緒に乗せてきた。
メスで子猫をたくさん産んだ。
母は捨てきれず皆んな飼うことにした。

引越しばかりしたがその時は茶色のポメラニアン2匹が家にいた。
メスの方は英国系で毛並が良く鼻が短い。
オスは新聞に載っていた近所のブリーダーのおばさんから買った。何か大会のチャンピオンの血統だという。

二人(2匹)とも愛想がよく人懐っこい性格だった。
おばあちゃんが泊まりに来た時はオスのポメラニアン(ロッキー)はメチャ懐き常に側にべったり付いてまわっていた。
寝る時もおばあちゃんの枕に先に位置どり丸まっていておばあちゃんは困っていた。

動物の本能で家の中で誰が1番偉いかすぐ嗅ぎわけるのだろう。
ポメラニアンろっきぃは一日中おばあちゃんのそばに付いてまわった。

中卒で就職し初給料の日が来た。
その時は封筒に現金で。
ちょうど10万くらいだった。

飴が箱に溜まったのを持ち上げて移動させる繰り返し。肩の上に載せるには重量物だった。
8時間も。155センチくらいで身体もできてない私にはつらかった。

初給料を事務所で受け取り家に帰るとおばあちゃんは凄くはしゃぎ喜んでいた。
孫が労働し初給料を貰ったのがそんなに嬉しいものなのか。そう思った。

大正生まれのおばあちゃんは歯医者さんの娘で裕福な家庭に育ったという。
炭鉱労働者の爺さんと恋愛し一緒になった。
その時は一軒家を持ち息子夫婦と暮らしていた。
母の弟にあたる。
料理も上手だった。
母が入院したときにも大阪に来て家事してくれた。
味噌汁ひとつにしても美味くて感心した。
税務署に勤める母の弟に小料理屋をやれと言われていた。

福岡だから「かしわ」鶏肉を材料にするのが多い。
私が中3くらいまで牛肉をそんなに好まなかったのは
そのせいかもしれなかった。

よく九州ばあちゃんは段ボールにお菓子と塩クジラと現金を送ってくれた。

初給料からおばあちゃんは少し頂戴と言う。
いくら渡したらいいのか迷っていると
封筒から1000円抜き取り、自分の財布から一万円出して私に手渡してくれた。

自分の一万より孫の1000円だった。
自分の財布に入れて使わずに大事にするといった。
母もそばにいて喜んでいた。
残りは母に渡した。
茶色のポメラニアン2匹もその様子を観ていた。

オスのポメラニアンろっきぃもドングリみたいな眼で尻尾を振りながら正座するおばあちゃんの横にべったり寄り添っていた。
おばあちゃんは喜びながら泣いていた。

それは無償の愛だった。


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