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大きな嘆きを表現した時、そこに見えた世界

今日のNVCクラスでのこと
NVCの3つの意図が話されて、、

義務や責任から等ではなく、自然な分かち合いから、あるいは喜びから行動を起こすことを目指したい、という言葉が私の中でぐるぐると渦巻き始めた。

娘の介助を喜びからできる時なんて
果たしてくるのだろうか、、と
もしそんなことが起こるなら
私は何をすればその道に合流できるのだろうか
道があるなら行きたいという願いに気づき
その声が今出して欲しいと訴えていた。

この話を冷静に話せる自信がない、と思いつつ
どんなふうにでもここで話すことが必要だと感じて手を挙げ、話を始められた。

私の話を聴いて、講師の方が  
とても大きな嘆きで私に全てを聴き取ることは難しいと感じているんだけど、と私の嘆きの大きさを表現してくれた。
そして、長い長い辛さの奥に大きな愛があることを感じる、と伝えてくれた。
大きな愛があるには間違いない、、それだけでは喜びに辿りつけない嘆きの渦中の私が居た。残念ながら、やりとりをはっきりとは覚えていない。内側でいろんな声がしていて疲労感なのか達成感なのか、なんだかわからない状態だった。
にも関わらず、この話を人前で詳しく話せたのが私にとっておめでたいことなんだとは言える。いままで封じ込めてきた声をまたひとつ声にだした。それをオンライン画面を通してだけども、確かに何人もの人がその場に立ちあってくれたことを感じている。そのことを忘れたくない。こんなに私の表現したものをただ聴いてもらえ、受け入れられ、あたたかく包まれる幸せな体験として記憶にくっきりと残したい。
人は優しくて美しい、私はそんな世界を見ていて、私の周りに創っていきたい、とまた今日も確認した。

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