naoko

自分のために『言葉にして出してあげたい声』を書き綴ってます。日々の記録として。

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最近の記事

想いを寄せる、って

世の中に表現されている声や情報は 知られている、という状態になる。 表現されていないものは 知られづらい。 確かにそこに、ここにある。  理由があって 表現されない大切な声の存在。 すべての声は表現されていない そのことを知っていて いつも傍に居られるような私でありたい。  

    • 自分を信じること、始まった

      私は人のことを自分のことより優先してやってしまうのが癖になってる、どうしたもんか、と ちょっと前まで思ってた。 けさも、足のマッサージしたいな、気持ちよく手当てしたいなと思いつつ、家族のために米を研いだり、洗い物したり、、なかなか自分のために時間を使わない私に気づいていた。 今日は、そこからいつもと違うことが起こる。 なんで私は、先にやりたいんだろう?と考えてみた。 愛なんだけど、娘達がいるだけで私は幸せをいっぱいもらっているから、だから私もやってあげたいんだ。これが

      • 思い出のポーチ

        今朝、家族を車で送って帰宅したとき 車のドアポケットにある赤い小さなポーチが目に留まった。 それは昔、娘のお出かけ時の導尿セットを入れていた物で、もう10年以上使っていないのに、どうすることも出来ずに、ただぼんやりとそこに入れてあったのだ。 今日は、それを家になかに持ち帰って じっと眺めて見ていた。 すると、いろいろな想いが湧いてきて 「あの頃は大変だったね」 「ひとりでよくがんばったね」と それを使っていた30代の私に労いの言葉を かけてあげた。 それから、幼かった娘

        • けさのゆめから

          夢からのメッセージ。最後のほうで、私の好きなものは何か、大事にしたいものは何か、書く、思って、そう!それだね、ってところで、目覚まし時計かなって、目が覚めた。 今のは夢か、、妙に現実的な内容だなと思いつつ枕元に置いた夢ノートに記入。 あとでみると、本当にみみずのはったような文字で読みづらいのですが、、記憶が薄れないうちにと。 さて、今日は予定すくなめで余裕があるから、 何か自分のためのケアをしてあげよう。 まずは、ハーブで手浴、脚浴で身体を温めてあげました。 #セルフ

        想いを寄せる、って

          嘆きと幸せを握りしめ

          私が人前で自分の悲しいこと、辛いことを言うと、相手の人は、その私を全てだと思うかたもいるし、そうは受け取らず、そんなことも思うんだね、と受けとめてもらうことも、両方がある。 私にとって、どちらが居心地が良いかというと 後者である。 私の場合、その発言をするやいなや もうちょっと言い出したところから動いていて あら、ちょっと言葉にしてみたら ほんとにそう?とか こんな感じもあるよね、とか いろんな感情にも気づくから。 嘆いたからと言って、嘆いてる人、と固定せず その人にも

          嘆きと幸せを握りしめ

          卒業したものから振り返る

          最近、15年間の長きにわたり所属していた子育てサークルを卒業した。今後も繋がり応援することもできることを確信していたから、私はとても晴れ晴れとした気持ちでいます。 そこは障がいのある娘の子育てに不安を抱えていた私を、長年支えてくれていたところ。運営にも関わり、一生懸命に何をしたら子どものためになるんだろうか、、と子ども最優先で、のつもりで考えていた頃を思い出すと、とても切ない気持ちになります。自分の不安から始まっていたんだなと思うと。切実すぎて楽しめていなかった私がいたんだ

          卒業したものから振り返る

          幸せの存在

          生命の源泉から生きる という題名のNVC(非暴力コミュニケーション)の講座が先週末フィナーレを迎えた。 たったひと月の間に 多くの思いやりや愛情を受けとめて 人間らしさで繋がる関係を取り戻していく 講座の中だけでなく、自分の周りの世界も 自分の信じる世界に変える力がある、 そんなふうなことを実感している。 日曜に、81歳の父が我が家に来て 庭の木を伐採してくれていた。 私は昼寝していたから、あとから気づいて ありがたいなと思って父のところへ行った。 このままにしとくと、

          幸せの存在

          NVC講座にて

          私達のNVC講座の日。このクラスは、2ヶ月間が空いて、その間のどんなことをやってみてるのか、NVCが役に立ってることをそれぞれの中でイキイキしてることを話しながらはじまりました。 テーマは『観察』 どんなふうに自分が目の前に起こっていることを見ているか、その事に気づいて、自分と相手がつながる可能性を見ていくこと。 自分の中のストーリーや思い込みで相手の言動を判断して、深刻な自分の悩みを話した時、相手が何も言わずに下を向いたのは、、きっと困っているに違いない、と思い、もう相手

          NVC講座にて

          大きな嘆きを表現した時、そこに見えた世界

          今日のNVCクラスでのこと NVCの3つの意図が話されて、、 義務や責任から等ではなく、自然な分かち合いから、あるいは喜びから行動を起こすことを目指したい、という言葉が私の中でぐるぐると渦巻き始めた。 娘の介助を喜びからできる時なんて 果たしてくるのだろうか、、と もしそんなことが起こるなら 私は何をすればその道に合流できるのだろうか 道があるなら行きたいという願いに気づき その声が今出して欲しいと訴えていた。 この話を冷静に話せる自信がない、と思いつつ どんなふうにで

          大きな嘆きを表現した時、そこに見えた世界

          身体の声を表現して

          疲れるということを許した日。 今日は、自分のしんどさを表現することを許してみたら、私の気持ちがかるくなって、これまでとは違った体験をした。 それはそれは長いトンネルをくぐって光が見えてきたような、いつまでも続く変わらないものだ、という諦めから伸びていく道のりがぼんやりと見えた気がしている。 二分脊椎症という障害のある娘の介助として、ときおり洗腸ということを1時間ほどかけてしている。私がやるのは、お湯を流し入れる事と圧をかけて逆流を押さえること。あとは、娘ががんばって溜まっ

          身体の声を表現して

          わたしのなかの勇気

          NVCの読書会で出会ったお仲間と 久しぶりにオンラインで繋がって、共感コールの時間をもてた。 さいごに、お相手の方から私の話を聞いていると 勇気づけられる、と伝えていただいた。 ん?そうなの?って驚く私がいた。 そんな私を見て続けて言われたのが ただ一生懸命やられているだけだと思うけど その姿を見て私は勇気づけられるのよ、と 伝えてくれた。 とてもありがたい言葉だった。 そのままの私を表現して、そして受け取ってくれたものがその言葉だった。 改めて私の勇気について考えて

          わたしのなかの勇気

          はじめまして

          まいにちの、ちょっとしたことから どーんと大きなできごとまで、、 一つひとつの体験がどんな意味があったのか 感じたことがいっぱいあっても 日々流れて薄れていってしまう。 書いてみたら?とすすめられても なかなか『めんどうだなぁ』と 新しいことがスタートできなかったけど。 それが今日ふと「私も書いてみようかな』と思い サクサクやり出せました。 そして、いま気づいてることは、長年かかえていたひとつのものを手放したおかげだなぁ、ってこと。すぐに新しいことを始める余裕ができたの

          はじめまして