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聴竹居を訪ねて

目黒美術館において現在「太田喜二郎と藤井厚二ー日本の光を追い求めた画家と建築家」展が行われています(2019年9月8日まで)。昨年藤井厚二の傑作で自身の住居であった重要文化財聴竹居を京都大山崎に訪れた際に解説員の方から聞いたお話にその時撮った写真を交えてご紹介です。

※2019/8/10訪問目黒美術館

藤井厚二さん超略歴

1888年広島県福山市出身
東京帝国大学建築学科にて伊東忠太氏(築地本願寺など設計)に師事、卒業後、竹中工務店(大阪)入社。同社初の東大出身設計員として入社後すぐに大阪朝日新聞本社(現在は取り壊し済)の設計などを担当。6年就業の後欧米へ建築を学ぶ9カ月間の旅に出る。留学中は竹中工務店で担当したビル設計より住居および環境工学に関心を持ち学ぶ。
帰国後京都帝国大学建築学科に講師として招かれ、のちに教授となって教鞭をとる傍ら、自宅住居を京都大山崎に繰り返し建築、その他個人住宅の設計などを手がける。聴竹居建築から10年ののち、49歳にて逝去。

聴竹居建築の経緯

現京都大学に教師として招かれた当時、自宅は神戸にあった。神戸からは通勤が大変で神戸と京都の間に位置する大山崎に自宅を構えることにし、天王山山麓の山林約12,000坪(!)を取得。住居を建てたものの、研究熱心なためどのような家が住宅としてベストなのか?の解を求めて山崎の地に繰り返し自宅を建てる。聴竹居は最初の神戸の家から通算で5軒目にあたり、それまでの4軒で風通しの良い家の方角は?耐震性のある建て方や材料は?の建築データを取っていた。2、3年毎に新しい家を建てていたものの聴竹居を最後に建てていないことからこれを完成形と見なしたと考えられる。

広大な土地の取得と5軒もの家を建てられた背景として、藤井さんは実家がかなりの資産家で、お兄さんが全額費用を出してくれ藤井さんがお金の心配をする必要がなかったことがある。大山崎はこの時期、アサヒビールの加賀正太郎氏(別荘が現在のアサヒビール大山崎山荘美術館)、サントリーウイスキー山崎蒸留所を建設した鳥井信治郎氏、藤井さんの3名によって買い占められた状況であったとか。敷地には趣味である作陶のための登り窯や、もっとも高所には25メートルプールもあった。(現存せず)

聴竹居のみどころ

1920年代頃の当時、西洋建築を見習おうという風潮で日本建築の良さが失われることに藤井さんは危惧を抱いていた。聴竹居のデザインコンセプトは和と洋の調和であり、折衷してしまうのではなく調和させていくことを目指し、椅子と畳のある心地よい空間を作った。

◾️間取り

客間中心ではなく居間が中心ー今は当たり前だが当時では画期的なことで、玄関を入ってすぐにこの客間と客用のトイレがあることは珍しかった。客間は最低限の広さで、写真に見えるように竹の床柱、網代天井など、小さいながら一番デザイン的に力を入れた部屋。窓枠は変わったデザインで、開くと同じ形状が浮かんで見えるようになっている。

今も現役のトイレ。玄関すぐ脇にあります。

◾️和洋の融合
当時は椅子の生活が入って来た頃だったが、椅子だけになるのではなく畳も残り続けると考えた藤井さんは、小上がりを作り畳を敷き、そこに座る人と椅子に座る人の目線を合わせるという工夫をおこなった(訪問時小上がりに来館者の荷物が多数置かれていたため撮影せず…)。

木を生かした和の要素溢れる部屋の仕切り部分に洋の要素となるRのラインをふんだんに取り入れている。

◾️家具
照明、家具、窓枠なども自分でデザインした。

サンルームには山崎の街を見下ろせる大きな窓があり、コーナー部分にも柱が使われていないのがわかる。

サンルームも客間と同様の網代天井。

家に調和するモダンな照明。


客室のテーブルと椅子。両脇にある椅子は座面が低い。当時の女性はまだ和装が多く椅子の上に正座することもあったため座りやすいように、また帯を着けて正座した膝が椅子から飛び出ないように座面を長くするなど工夫してデザインされた。Rが入った糸巻き軸型のテーブルも正座の膝が当たらないようにこの形になっている。京都宮崎木工の制作。

家具は耐震のため多くが作り付け。
使い勝手の良さそうな台所は小窓でダイニングとつながっており、そこから食事や調味料が渡せるようになっている。

子供達の学習机も作り付け。机前の扉を開けると外の景色が目前に広がり一気に開放的に。

ダイニング。障子の和紙から柔らかい光が取り込まれる。

茶箪笥も作り付け。客室天井と同じ網代の細工。

■オール電化と風通し

オール電化のための分電盤。

スイスから取り寄せた冷蔵庫。当時で1000万程度の価値があったものだとか。

掛け時計も電化だったことがわかる。

聴竹居を紹介するにあたり、その風通しへの工夫は耐震性と並んで語るべき要素であるものの、写真材料がなく視覚的に紹介できず。実際は建物の方角を風通しにもっとも良い位置に配置し、小上がりの下を空洞にして外と繋げ空気が流動する仕掛けなどされている。

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帰りがけ、庭師の方が話しかけてきてくれた。聴竹居へ至る階段の大きめの切り出し石は形状を加工されているものの、脇にある細かい石は天然の形をそのまま利用しており、90度の角度を持つものをわざわざ集めて作ったのだとか。

良く見てみると本当にそうなっている。

さらに階段の左右の角には三方向に直角の石を探して用いたとのこと。工夫がこまかい!

藤井さんの美意識によってすべてが整えられている。

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聴竹居のテーマは和洋の融合とのことだが、もう一つの大きなテーマはデザインと機能性の融合であるのだろう。趣味人としてのセンスと建築家としての理論をどのように最善の形で表現できるのかへの挑戦。そんなことを考えていると「用の美」を連想した。西洋賛美から立ち戻って和を評価する視点も考えれば考えるほど民藝に共通するなと調べてみると柳宗悦氏と同年であることを知った。二人に交流があったという記録は聴竹居の訪問時も目黒美術館での展示でも目にしていないが、同じ時期に同じような挑戦を違う成果物でおこなっていた二人。このあたりの研究があったらぜひ知りたい。

京都なのだし河井寛次郎と登り窯談義はしたのかな…

※見学にはネットによる事前予約が必要です



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