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フラットな場所~他人との距離感について

私は宇宙理論や意識のことを学んで救われたタイプの人間です。

自分との対話を積み重ねてくると、自然と他人の引っ掛かりにも気づいてきて
「もっとこういう考え方すれば楽になるのになぁ」とか
「これが理由で辛いんだなぁ」とか
「この人、本当に幸せなのかなぁ」とか
傲慢なことを思うようになりました。

で、この自分自身の傲慢さに気づいてモヤモヤしたので少し考えてみました。

これから言う事には様々な反対意見が飛んできそうで恐ろしいですがフォロワー少ないのですし(笑)恐れを捨ててひとまず書きます、、、

この世の中にダメなことや、すべき事なんて、本当は何もないんです。
何をもって幸せかも人それぞれ。
幸せでない人生を選ぶことさえ、個人の自由で誰も介入なんてできないんです。

例えば私が幸せだと思う道を選択して、凄く親しい友人が違う道を選択したとします。
「こっちの方が幸せだよ!」なんて、凄く乱暴だなぁと思うわけです。
だから、自分ができることは、自分の場所で意識のことを書いたり話したり、表現し続け、その話を聞いて共感してくれる人と対話を重ねること。

凄く親しい友人とそのことについて話せないとしても、むしろ友人が選ぶ道をジャッジなく見てあげることこそが愛であるという考えに至りました。

アドバイスを求められたら話しますし、友人が苦しそうにしていたら話ますし、宇宙理論も口コミはします!(笑)
でも、押し付けもしません。

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愛を持って人と出会い
愛をもって人と別れる
愛を持って人に近づき
愛を持って人と離れる



ジャッジのないフラットな場所に立てた時、深い安堵感と深い愛が湧きあがるのです。



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