デザインと、ソーシャルデザイン雑記#1

今年の目標は勉強する。勉強したことをアウトプットするまでセット。
ということで勉強していることや雑感をメモを書いていく。

私が今年テーマにして学び、テキストや何かしら形にまとめていきたいのはこれ。
(1)デザインとソーシャルデザイン
(2)生涯学習とソーシャルデザイン

優先順位的には昨年母校のムサビと展覧会をやって、ワクワクしている(1)から進めていく。(また展覧会やりたいぐらい楽しかった)

まず、デザインを考えていく前に、「どの文脈」からデザインについて語っていくかが結構大事な気がしている。
「そもそも最近デザインって定義広いよね…サービスとか思考とか、コミュニティとかもちろんメディアとかもそうだし。むしろ私知らないことのほうが多いわ(恥)」という感じなので、自分が体感し、学び続けてきた「美術・造形」と交わるデザインの文脈から考えていこうかなと思っている。
(補足もそのうち入れてこ)

デザインの前に、私のような美術大学志望だった学生の大半が通っていた場所がある。それは「美術予備校」と呼ばれる、高校生や浪人生たまに大学再入試を検討している他大学の学生等が通い、日々冬の大学受験に向けて学科試験と実技試験の学びを受ける場だ。
高校で美術部やアトリエがある場合もあるけれど、たいていの美大志望者はその当時この予備校に通っていたはず。

なんでいきなり予備校の話をしだすかというと、ここが「美術・造形」文脈でデザインを語る上で、なんだかんだ基礎になっていると思ったからだ。

この文脈で一番の基礎となるのは「デッサン」である。まずはそこから出発したい。

デッサンの意味いろいろなサイトに書いてあったけど事例として
こちら
(アートスケープのサイト見るのも久々じゃ…)

美術系の話題で、絵を描くことの得手不得手の話になることが多いが、極論でいうと「絵は誰でも描けるようになる」と私は思っている。
デッサンは素描とか習作とか本来的な意味もあるけど、
まず「対象を観察する」ことが造形活動への第一歩となる。
表現と観察は表裏一体なのだ。
今日はなんとなく雑記ここまで…(先が長いな…)

追記
デッサンをする上で「認知する」っていうのは「わからなさ」や「唐突さ」に出会うことで、その「わからなさ」こそが美への入り口なのだ!と思う。
そして出会ってしまった「わからないもの=美」を、その人自身の体験や思考に基づいて「観察し、整理し、表現する」というプロセスをたどっていると思うのであながち間違って無い気がするんだな…。雑記より長くなっちゃった…。

今日の仮説:
良いデッサン(観察)がされているか?が、様々なプロジェクトをウォッチする時のポイントになると思います
(だいぶ乱暴)

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