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闇を担わされた者たちの悲痛な叫び――チャック・パラニューク著『インヴェンション・オブ・サウンド』書評

第四回 翻訳者のための書評講座に参加しました。
今回の課題はこれまであまり読んでこなかったジャンルの小説で、書評をまとめるのが難しいかもしれないと思っていたのですが、思いのほかスムーズに書くことができました。それはたぶん、この小説が持つ、人をぐいぐい引き込んでいく力のおかげなのだと思います。
講座では今回も講師の豊崎由美さんにご教示と励ましをいただき、また他の受講者の方からも貴重なご意見をいただき、たいへんに勉強になりました。以下は、講座終了後に書き直したものです。
読んでいただけると嬉しいです。


「ルシンダ、パパとゲームをしようか。」ゲイツ・フォスターは七歳の娘にそう提案した。高層ビルのエレベーターを自由に使って、鬼ごっこをしようというのだ。娘はエレベーターを乗り換えながら逃げまわり、父親の姿が見えると悲鳴に似た歓声をあげて別のエレベーターに駆け込んだ。それが、フォスターが最後に見た娘の姿となった。
 十七年後、フォスターは子を亡くした人たちの自助グループに参加しつつも、娘はどこかで生きているという思いを捨てきれずにいる。闇サイトにアクセスして子どもを性的に虐待する男たちの顔や特徴を頭にたたき込み、いつでも捕まえられるよう周囲に目を光らせながら生きている。
ミッツィ・アイヴズは二十九歳の音響効果技師だ。効果音として使われる悲鳴を録音し、映画の制作会社に売っている。彼女の手がけた悲鳴はそれだけで人を震え上がらせるほどにリアルで、値を釣り上げても買い手にはことかかない。そうやって大金を手にしつつもミッツィは死に取りつかれ、睡眠薬を常用し、危険なセックスを繰り返す。
 本書のタイトル『インヴェンション・オブ・サウンド』には、「音の発明」という意味の他にもう一つの意味が込められている。「インヴェンション」は、二つの旋律を同時に奏でる形式の楽曲を指す言葉でもあるのだ。そのタイトルが示す通り、物語はフォスターのパートとミッツィのパートが絡み合うように進行する。その入れ替わりはめまぐるしく、作中の時間も頻繁に前後するため、物語の全体像が見えてくるまでは辛抱が必要になる。だが、途中で本を閉じようという気にはならない。この先はどうなるんだろう、何が起こるんだろうと、力技でぐいぐい引っ張られていくのだ。これこそが著者チャック・パラニュークの手腕であり、人気の所以でもあるだろう。
 映画『ファイト・クラブ』の原作者としても有名なパラニュークは、できれば目をそらし、知らずにおきたい人間の影の部分を露悪的に描くことに定評がある。薬、暴力、セックス、悲鳴、嘘、絶望、破壊。怪しいドクター、女優志望のウェイトレス、落ち目の金髪女優、辣腕プロディーサー。舞台であるハリウッドという街の放つ光が強烈であればあるほど、その裏の闇は深い。そうした闇の部分を担わされた者たちの悲痛な叫びが、やがてアカデミー賞授賞式というこの上なく輝かしい場に事件を引き起こすことになる。
 米国でスーパーマーケットに入ると、行方不明の子どもたちの写真と情報提供を呼びかける掲示を目にすることが少なからずある。FBIによると、米国では二〇二〇年の一年間に三十六万人以上もの子どもが行方不明になったそうだ。その事実を踏まえると、本書の冒頭に置かれた「――たかが映画と信じておけばいい」という文言の恐ろしさに、背筋が凍る思いがする。
(1188文字 掲載想定媒体:一般紙)


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