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封建的な社会の中で自分の気持ちに正直に生きる――イーディス・ウォートン著『夏』

「図書新聞」No.3573 2023年1月1日号にイーディス・ウォートン著『夏』(山口ヨシ子、石井幸子訳 彩流社)の書評が掲載されました。
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、書評を投稿します。


 チャリティ・ロイヤルは外出するために玄関から外に出たところで、都会的な身なりをして楽しげに笑う見知らぬ青年の姿を目にし、あわてて玄関の中に引き返して鏡に映った自分の浅黒い顔を見つめ、「アナベル・バルチのように目が青かったらなぁ」と嘆き、「何もかもうんざり!」とぼやく。
 チャリティは十七歳。マサチューセッツ州の西部にある、「人びとに見捨てられ、鉄道、路面電車、電信など、近代的な地域社会の生活と生活を結ぶありとあらゆる便宜から見放された村」であるノースドーマーに住み、ほとんど利用されない図書館で司書をしている。記憶もないほど幼いころに、ロイヤル夫妻に〈山〉から引き取られて育ててもらったのだが、夫人が亡くなってからは弁護士のロイヤル氏と二人暮らしだ。
 年頃の娘が何の変化も起きない村で、父親ほども年の離れた堅苦しい男性と暮らしていれば、毎日に嫌気がさしてどこかへ出ていきたいという思いを抱くのは必然と言っていいだろう。そこに登場するのが近隣の都市、ネトルトンからやってきたルーシャス・ハーニーという青年だ。ルーシャスはチャリティが務める図書館の所有者、ミス・ハチャードのいとこで、建築物に関わる調査のためにノースドーマーにやってきたのだった。そしてチャリティは、当然のようにこの青年に恋をする。
 となれば、チャリティは清く正しく美しい娘で、見目麗しき好青年ルーシャスはあらゆる女性の憧れの的となりながらもチャリティに思いを寄せ、二人の間に立ちふさがる人々はとんでもない悪党……となりそうなものだが、本書『夏』はそうしたおとぎ話のような恋愛小説とは一線を画す、一九一七年に出版されたとは思えないほどリアルな小説だ。
チャリティは肌が浅黒く、おそらく瞳の色も濃く、白人ばかりの村ではマイノリティであり、周囲に相談に乗ってくれたり味方になってくれる人はいない。だが彼女には、他人を頼りにする必要がないだけの芯の強さがある。嫌なものはきっぱりと拒み、欲しいものは自ら取りに行く強さだ。そんな彼女が恋に落ちたとなれば、周囲の目をはばかることも後先を考えることもなく、情熱のおもむくままにどこまでも突っ走ってしまうのは仕方のないことだろう。相手のちょっとした表情や仕草に敏感に反応して有頂天になったり落ち込んだりする様子はいかにも十七歳の娘らしく、読んでいてくすぐったい感じがするほどだ。そうしてチャリティはルーシャスと共にあちこち出歩くようになり、自分たちは恋人なのだと思い込もうとする。だが、ルーシャスの周りにちらつく青い瞳の良家の娘、アナベル・バルチの存在がどうしても頭から離れない……。
本書を読んで一番に感じたのは、今から一〇〇年以上前にここまで自分の意思で行動する女性が描かれていたのかという驚きだった。著者のイーディス・ウォートンは一八六二年にニューヨークでも名門とされる家に生まれ、高い教養を身に着けて社交界へデビューした。銀行家と結婚してからもアメリカとヨーロッパを行き来し、この小説の舞台であるマサチューセッツ州西部にあるレノックスに「マウント」という大きな屋敷を建てて暮らしたそうだ。そうした誰もがうらやむような上流階級の生活をおくりながら、出自が複雑なマイノリティという、全く立場の異なる主人公を描くことには意味がありそうだ。
社交界と封建的な村とは全くつながりがないように思えるが、小さな閉じた社会であるという点では共通しているのかもしれない。決まったルールを守りながら生きることができればいいが、どうしてもそこに収まることのできない心の持ち主であれば、周囲に張り巡らされた見えない壁の向こうへ逃げたい、外の世界に飛び出したいという願望を常に抱えて生きることになる。もしかしたらウォートンは、自分のそうした側面をチャリティという人物に反映させたのかもしれない。
 ただ、だからといってチャリティを決して特別扱いしないところが、著者のすごさのひとつなのだろう。女性で初めてピューリッツァー賞を受賞したウォートンのどこまでも冷めた公正な視点は、二十一世紀の今でも新鮮だ。ごく普通の、自分の気持ちに正直であるがゆえに孤独なチャリティがとった行動には結果が伴い、彼女は最後に究極ともいえる選択を迫られることになる。その選択が幸福をもたらしてくれるかどうかはわからない。もしあなたがチャリティだったらどのように考え、何を選択するだろうか。

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