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「幻想」と「現実」によって結ばれたダブルビル〜新国立劇場『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』

 新国立劇場2023/24シーズンは、プッチーニとラヴェルの、それぞれ上演機会のあまり多くない作品の2本だて公演で幕を開けた。大野和士芸術監督によれば、両作品をつなぐテーマは「母の愛」だという。『修道女アンジェリカ』は、未婚で子どもを産んだことで修道院に入れられたアンジェリカが子どもが亡くなっていたことを知らされ絶望して自殺を図るが、聖母マリアへの祈りが通じ、死んだ子どもと共に天国へ昇っていく。『子どもと魔法』の物語は、母親に反抗していたずら放題の子どもが、家具や食器や動物たちに責められる羽目に陥るが最後は優しい心を取り戻すというもの。前者がリアルな世界を描く悲劇であるのに対して、後者はコミカルな味わいを持つ幻想的なおとぎ話で、また音楽的にもプッチーニとラヴェルのそれはかなり異質だ。

 演出の粟國淳は、この対照的な2作を同時に上演するにあたり、「舞台美術も含め、それぞれ独立した作品として見せようと思いました」と語っている。その言葉通り、『アンジェリカ』の舞台は衣裳もセットも写実的で、またモノトーンを基調とした抑えた色味であるのに対し、『子どもと魔法』は色彩豊かな舞台で、衣裳やセットも幻想的なおとぎ話の世界を彷彿とさせる。前者の「リアル」に対して後者の「幻想」ともいえるかもしれない。

 実は、同じく「母の愛」をテーマにしているとはいっても、『子どもと魔法』の方には舞台上に母は登場しない(母親の姿はスカートとエプロン、おやつのお盆を持った手だけで表されることが多い。今回も母はシルエットの映像だけ)。そして今回の『アンジェリカ』では、ラストシーンで子どもが登場しない。通常は死を目前にしたアンジェリカの前に聖母マリアが死んだ子どもを連れて降臨するという奇跡が起こり、アンジェリカはその子どもに手を引かれて昇天していくのだが、粟國演出では、舞台上のすべての装置が取り払われ、黒い十字架が描かれた壁だけが吊るされた中、アンジェリカはたったひとりで見えない子どもを抱きしめながら死んでいく。つまり子どものすがたはアンジェリカの見た「幻想」、という解釈がなされていた。それはひとつ間違えれば救いようのない悲劇にも思えるが、アンジェリカを演じたキアラ・イゾットンが子どもを抱きしめながら浮かべている微笑が、彼女は確かに救われたのだということをはっきりと表していた。

 『子どもと魔法』の原題は「L’Enfant et les sortilège」。「レ・ソルティレージュ」は「呪文」という意味で、このタイトルは「子どもと魔法にかけられたもの」と考えるのが妥当だろう。子どもが体験するのはもちろん「幻想」なのだが、しかしこの「魔法にかけられたもの」たちは、妙に現実世界とリンクしている。例えばティーポットとカップは、日本と中国がごちゃ混ぜになった歌詞をフォックストロットの音楽に乗せて歌うが、最近とみに問題になる「文化の簒奪」という言葉が頭に浮かぶ。引き裂かれた壁紙から出てくる羊飼いの男女は故郷を奪われた難民を思わせる姿で、ハチャメチャな計算を叫ぶ算数の精たちは時間やお金など「数字」に追われる現代社会を皮肉っているようでもある。

 つまり本プロダクションは、「リアル」と思えたものが「幻想」になり、「幻想」であるはずのものが「リアル」を想起させる、という仕掛けなのだ。2作それぞれの美点や面白いところはしっかりと打ち出しながら、共通点がないことを逆手に取ってダブルビルとしての意味を成立させた、見事な演出である。個人的にはこれまで観た粟國淳の演出の中ではもっとも満足度の高いものだったといっておきたい。

 音楽面では、前半と後半でまったく異質の音楽を高いクオリティで表現してみせた沼尻竜典の指揮をまずは賞賛したい。昨年ぐらいから沼尻は絶頂期に入っているのではないだろうか。今、彼の振るオペラを聴き逃してはいけない気がしている。『アンジェリカ』には郷家暁子や中村真紀、小林由佳、伊藤晴など他公演では主役級の歌手が勢揃い。この作品は(ラストの合唱を除いて)すべて女声なので歌手のレベルを揃えるのが一苦労だと思うのだが、どのキャストも満足のいく出来栄えだったと思う。『子どもと魔法』の方は、子どもとお母さん以外はほぼすべての歌手が2役、3役をこなさなければならず、短い割に歌手に負担の大きい作品だが、こちらもすべての歌手が大健闘。これだけの人数の歌手が出演して歌に不満がほぼないという、日本の歌手のレベルの向上を如実に物語る公演となった。

 また『子どもと魔法』ではバレエ団が大活躍(被り物で踊る役も多く、特に3匹のカエルが可愛かった!)。プログラムを見ると、谷桃子バレエ団や東京シティ・バレエ団など、新国立劇場バレエ団以外の団体のメンバーが多数出演しており、こちらも日本のバレエダンサーのレベルの高さを知ることができた。装置や衣裳も美しく、まさに「総合芸術」にふさわしい舞台だったのではないだろうか。

2023年10月9日、新国立劇場オペラパレス。

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