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今年一番の傑作か〜【Opera】新国立劇場『ジュリオ・チェーザレ』

 2020年に上演される予定だったがコロナ禍のために直前で中止に追い込まれたロラン・ペリー演出の『ジュリオ・チェーザレ』が、ついに私たちの前にその姿を現した。キャストの変更はチェーザレ役のマリアンネ・ベアーテ・キーランドのみ。そのほかの日本人キャストは、2年前に予定されていたメンバーが(奇跡的に!)全員揃った。指揮もバロック・オペラのスペシャリストであるリナルド・アレッサンドリーニが予定通りの登板。

 ペリーの演出は「読み替え演出とはかくあるべし」とでもいうべき、素晴らしいものだった。舞台は現代のエジプトの博物館のバックヤード。そこにチェーザレの石膏像が運び込まれてくるところから物語が動き出す。チェーザレやクレオパトラ、コルネーリアたちは、彫刻や絵画の間から(中から?)浮かび出てくるように現れてバックヤードの中で動き回る。時には絵画の額縁の間に収まってみたり、自分自身を模した巨大な彫像の上で跳ね回ってみたり。幼い頃、博物館や美術館では彫刻や絵画に描かれた人たちが夜な夜な躍り出てきてはパーティをしているのでは、などと想像したことはないだろうか。大貫妙子の「メトロポリタン美術館」という曲はそんな博物館でのタイムトラベルを歌っているが、ペリーの演出はその世界が舞台上に三次元で展開されているような感じ。ファンタジックで楽しくて、どんどん引き込まれてしまう。

 ペリー演出の評価すべき点は、そうした「発想」だけではない。もちろん読み替え自体面白いのだが、それがテクストや音楽と齟齬をきたしては何の意味もない。舞台上には20人ほどの助演が登場。博物館の作業員として美術品を移動させたり掃除をしたりするのだが、彼らは時おりチェーザレたちの物語の中に侵入してくる。つまり、舞台上では「現実のバックヤードで起きていること」と「古代のチェーザレの物語」のふたつの時間軸が、時に交わりながら進行していくのだ。何よりも舌を巻いたのは、そうした「芝居の動き」が音楽にピッタリと合っているところ。多くの消化不良に終わっている「読み替え演出」は、演出家の単なる思いつきに終始して、音楽から発想していないからだと思う。ペリーの凄さは、豊かな発想と共に、それを実現する上で確かな音楽理解に裏打ちされた手法をとる点にある。だから登場人物の動きに無理がなく、どれほど突拍子もないようにみえる設定であろうともストンと腑に落ちるのだ。

 おそらくそうしたペリー演出の意図を十二分に理解した上で演じていたのだろう、すべての歌手が役になりきってイキイキとしていたのがよかった。中でも印象に残ったのは、クレオパトラ役の森谷真理。ペリーの演出ノートにただひとり「クレオパトラ役の方も、稽古が始まった瞬間、こちらが呈する要素をあっという間に身体に取り入れて、『表現で遊べる』人だと分かりました」と書かれているように、まさに「クレオパトラその人」として舞台上で泣き、笑い、愛し、生きていた。歌唱の素晴らしさは言うまでもなく、私は「この人を日本に置いておいていいのだろうか」と真剣に思ったほどだ。全体の中でバロック音楽の唱法をもっとも自身のものにしていたのはニレーノ役の村松稔之だったが、張り切りすぎてときどき声が濁る箇所があったのが惜しい。しかしかなり実力のある人だと思うので、これからもどんどん大きな舞台の経験を積みさ兼ねていってほしいと思う。

 オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団だったが、まるでバロック・オケのような響きがしたのには驚いた。通奏低音にチェンバロ、チェロ、2台のテオルボが入っていたことも大きいが、やはりこの時代の音楽に深い造詣のある指揮者アレッサンドリーニの功績だろう。おそらくピリオド奏法を採用していたと思われるが、それにしても普段の東フィルからは想像もできないストイックでスタイリッッシュな音楽に大きな拍手を贈りたい。

 天才的な演出家とスペシャリストの指揮者を得て、歌手陣も絶好調だった新国立劇場『ジュリオ・チェーザレ』。まだ今年は丸2ヶ月以上あるが、個人的には「2022年のベスト・オペラ」になりそうな気がする。

2022年10月5日、新国立劇場オペラパレス。

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