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平凡に生きるのは難しいことなんだよ

昨日は優しかった伯父の生きていれば89才になるはずだった誕生日だった。子供のいない伯母と伯父は子供の頃から私と四つ上の兄のことをとても可愛がってくれて、亡き母とは一つ違いの姉妹ということもあり子供の頃はオムツを持ってお家に遊びに行ったこともあると聞く。伯父は河合楽器に定年まで勤めあげたが渋谷の店長さんをしていたときは私が高校生でクラシックギター部に所属しており、時々弦を買いに行ったのを覚えている。幼稚園の先生をしていた伯母とは共働きで晩年までよく家事を手伝っていたり、伯母が足が冷たいと言えば手で温めてあげたり布団を干してあげたりといい旦那さんだったと伯母から聞いていた。

伯父は広島県の三次という所の農家の出身で、原爆が広島市に落とされた時にはドーンという音が聞こえたという。三次は原爆の影響を幸い受けなかったが話を聞くだけでも怖かっただろう。小学生の高学年の頃伯父と一緒に伯父の実家に遊びにいき、自然の中を歩いたりかやという大きな網の中に入ってみんなでざこねをして寝たと言う体験もした。伯父は7人兄弟の末っ子でいいお姉さん達に可愛がられて育ったようだ。

子供の頃、団地から一戸建てに引っ越してから兄と一緒によく遊びに行った。両親とは違う価値観を持つ心の温かい伯父夫婦のうちに遊びに行くと何でも話しができていつも楽しかった。帰りには伯父がバス停まで見送ってくれていつもバスの回数券をくれたのを覚えている。高三の時に落語を文化祭で披露することを思いつき、伯父のうちにその練習につきあってもらいに行ったこともあった。

私が離婚して実家に戻った時もずっと心配してくれた。上野の公園にお花見をしに連れていってくれたこともある。その帰りにアメ横に寄り香水を買ってもらいそれをこの間洗面所にあるのを見つけて以来毎日つけている。アロマの香りが好きになったのもこれがきっかけになったような気がする。

伯父の口癖は平凡に生きるって言うのは大変なんだよ、と言う言葉。子供の頃はわからなかったが今になるとよく分かる。人生は山あり谷ありで辛いこともあれば喜びもある。それを周りの人達と支え合いながら日々過ごしていくことで人間は成長していくんだな、て思う。いつも気にかけてくれて心を大事に大事に育ててくれたことにありがたく思う。出かけるときはジャケットを着て胸元にはハンカチを入れていつもおしゃれをしていた伯父。おはぎが大好きで伯母がよく作ってあげていたと聞いていた。ある時は節分の日に高幡不動尊に連れていってくれて人が並んでいるのに横入りをして前列まで行き、伯父さんずるしてない?て言っても大丈夫大丈夫と言って笑ってお豆を一緒にとったこともあった。

夫と再婚した時は本当に喜んでくれてよく夫と伯父の大好きなケーキを四つ買って遊びにいっていた。話していると何故かテーブルの上を手で円を回すような仕草をしてそれが嬉しい時のしぐさだということがわかりそんな事も懐かしく思い出される。人に迷惑をかけたくないといつも言っていた言葉通り、最後は弱っていたが検査入院した病院で10日後に息を引き取ったとのこと。最後に伯母にありがとうと言ったとのこと。立派な生き様を見せてくれた。メンタルが弱った私のことをいつも気にかけてくれて夫に姪がお世話になっていると感謝の言葉を伝えてくれていた。私にとっては親のような存在だった。今は天国で旦那さんと仲良くたくましく生きなさい、と見守ってくれていると思う。


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