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ホワイトアスパラガス

 春がくる度、私はある言葉を念仏のように唱え始める。

「ホワイトアスパラガスを見つけたら食べろ」

 祖父母の遺言でも、わが家の家訓でもない。
 誰に命令を下されたわけでもないけれど、それくらいの使命感を持って立ち向かっている。
 まあ、平たく言えば大好物である。

 とくに北イタリア、ヴェネト州バッサーノ・デル・グラッパ産、なんてメニューにあったらそわそわしてしょうがない。
 横綱・照ノ富士の親指より太いに違いない、穂先までずんぐりしたフォルム。現地の市場では薪木のように束ねられ、必ず縦にして売られている。まるで「みんな廊下に立ってなさい! 」と叱られたみたいに。

 そうして彼らは、やはり立たされたままゆでられる。
 地元の人曰く、立てるは鉄則。そのために、専用の縦長鍋まであるくらいだ。

 ホワイトアスパラガスは畑で、日に当てられないから色白のまま成長する。野菜としては不憫なような、少々特殊な育ち方をするけれど、その代わりほかの野菜にはない味を持つ。
 私は、土の味だと感じている。
 生存競争の淘汰と共存がひしめく、畑の命を吸い上げるのだから、香りも味わいも実に複雑。塩ゆでにしただけなのに、甘いような苦いような、官能的な味わいを食べ手に授けてくれる。

 では塩ゆでのホワイトアスパラガスを、どう食べるのか?
 バッサーノ・デル・グラッパのトラットリアに行けば、金太郎飴のようにゆで卵が出てくるはずだ。ゆでたての卵をフォークの背で潰し、オリーブ油とヴィネガー、胡椒。たったそれだけをよくよく混ぜ込んで、ソース代わりに添えて食べるのだ。

 ホワイトアスパラガスには卵。それは前世から決まっている宿命みたいなものらしい。
 産地はほかにもフランスのロワール地方など各地にあれど、どこでも大体、伝統的な組み合わせは卵。
 ポーチドエッグ、目玉焼き、スクランブルエッグに黒トリュフ、オランデーズソース(卵黄、バター、レモン)。
 逆に、どこにでもある「卵」という素材が共通しているからこそ、それをどう調理するかで、土地の背景や人々の気質が垣間見られるからおもしろい。

 たとえば、「ゆで卵、オリーブ油、ヴィネガー、胡椒」だけのいたってシンプルなバッサーノ・デル・グラッパ式にしても、日本では、ゆで卵を丁寧に包丁で叩く人もいる。
 均一に、ムラなく、滑らかに。

 でもそれじゃあ、地元の人にしてみれば「あー違う、違う!」なのだ。
 フォークの背でザクザクっと潰す不均一な白身の食感と、黄身の滑らかさのコントラスト。それが彼らの美学である。

 だが最近増えてきた日本産ホワイトアスパラガスの繊細な風味に、〝ザクザク〟はたしかにマッチョ過ぎる。こちらには、包丁で細かく叩いたほうがむしろしっくりくる気がするのだ。

 日本の土で育ったホワイトアスパラガスは、良くも悪くも優しい味、と評される。でも優しいとは決して「弱い」でも「足りない」でもない。
 ただ単に土壌が違う。
 それを個性と呼ぶんじゃないかな、なんて考えた春の夜(ゆで上がりました)。

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