嬉しいも悲しいも辛いも死ねも

大切な我が子を亡くしたママたち

なかなか身近に同じ境遇の人は居ないから

ツイッターなど顔がわからない場所でひっそりと心を打ち明ける


なんで私ばっかり、、

あの人はいいな、、

今日ちょっと笑えた(^^)

本当に何気ない自分の気持ちの変化をさらけ出す大切な場だ。

リアルで

悲しいって言ったら、まだ悲しんでるの?って言われそう

嬉しいって言ったら、もう立ち直ったの?って言われそう


なんだか自分の心の内を終始誰かに見張られているみたいに。

そう、見張っているのだ。

自分が、自分を。


心の小さな変化を。


嬉しい

楽しい

悲しい

ムカつく

なんで私が!

なんであんな性格悪いあいつじゃないんだ!あいつが死ね!

怒り

憎しみ

本当はどれも自分の大切な気持ちなのだ。

それ全て感じてはいけないと自分が見張る。


感情が怖いのだ。

感情に飲まれのが怖いのだ。


それだけ大きな出来事だったのだ。


感情に飲まれないように、なるべく平坦な気持ちでいるよう無意識に調整しようとする。

そんなの不自然だけど

もうグイングインと波打つような起伏は怖いのだ。


そっと息を押し殺して

時薬が効くのをじっと待つ。


暴れるな

哀しみの波に飲み込まれないよう


そうすることで、一度人は周りとのバランスを取ろうとする

でもそうなると

今度はどんどん自分が自分ではなくなる


その時々の気持ちに自分だけでは寄り添えない。

エネルギー切れだ。

だから本来は

その嬉しい、悲しい、怒り、苦しみ

全て大事な気持ちなのだと周りもみていけたらいいのだけど、

この世の中

一人一人が、感情を自分の中に隠すから

さらけ出せなくなる。


感情を隠して大人という仮面を被った未熟な人間

行き場のない想いは

自分の中からまずは解放するのが大事なんだ。

誰もが自分の本音に寄り添えていたら


こんな悲しいことがあった人を見かけたら

出してもいいよって場を与えていけるのだ。


子どものように。

ワンワン泣いていいのだ。

それが自然なのだ。