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葬儀を自分でプロデュース、安楽死で逝った近所の友人

※写真(↑)はハンスの作品「アイントホーフェン市とポーランド・ビアリシュトク市の提携を祝う音楽家たち」

日曜日の午後2時から、近所の教会でハンスの葬式があった。享年76歳。安楽死であった。

ハンスは近所の友人ヤニーの夫で、私の子どもたちがまだ小さかったころ、ヤニーとともにシングルマザーの私をなにかと助けてくれた。子供たちもハンスの自転車の後ろに乗って登校したり、学校で必要だったオランダ語の詩を書くのを手伝ってもらったりしたのをよく覚えている。静かでシャイでユーモアがあって、とても暖かい人。写真家で、芸術家で、クラシック音楽とビールと、サッカーの地元チームPSVをこよなく愛する文化人だった。

3年前、ヤニーが亡くなった後は自宅を売却して、うちから車で30分ぐらいの村にある介護施設に入っていた。ヤニーの生前からどんどん悪化していた視力はなくなり、ここ数年は1人で音楽を聴いたり、触覚を頼りに粘度で人の顔などを作ったりして過ごしていた。これまでに彼の介護施設を数回訪れたことがあるが、昔教会だったところを改装した施設で、静かで小さく、クラシックな雰囲気の素敵なところだった。

ハンスの最後の写真展では、大勢の家族・友人が詰めかけた

2022年4月には個展を開いた。80年代に彼が東欧や南欧で撮った写真を整理して展示したものだ。冷戦当時のポーランド市民の生活や、イタリアの海辺の風景などが印象的だった。個展では彼の作品のほか、写真集も販売されていて、多くの友人がそれを買い求めていた。私もハンスの現役時代の記念にと思って、イタリアの港町の庶民を撮影した写真を購入した。今、あのときのことを振り返ると、あの最後の個展は彼の「To Do List」のひとつだったんだろうな、と思う。

私が購入した写真。イタリアで撮影したらしい

彼が安楽死を予定していることを知ったのは、先月の終わりぐらいのことだった。ハンスの友人が教えてくれたのだ。もう医師や家族の同意を得ているという。そして、その2週間ほど後、彼はもう逝ってしまった。私にとっては突然の出来事でとても驚いたが、もちろん、これは長い時間とプロセスを経て決められたことである。ハンスはヤニーが亡くなった後、心理士や医師、家族などと、今後どのように生きたいか、なにをしたいか、またなにをしたくないかを時間をかけて話し合ってきたのだという。

このごろは手の感覚もなくなってきて、粘土でものを作ることはもうできなくなっていた。コーヒーカップを持つこともままならなくなってきたうえ、認知症も進行していたのだそうだ。まだ自分で判断して書類にサインできるうちに、安楽死への手続きが進められたらしい。

葬儀には100人以上の家族・友人が集まっていた。ステンドグラスを通して、午後の不安定な光が差し込んだり陰ったりする中、参列者は前方に置かれた白木の棺の上に赤や紫のアネモネを1本ずつ置いていった。アネモネはハンスが好きな花だそうだ。

葬儀ではまず、11~12歳ぐらいの孫息子が出てきて、式の進行を説明した。
「これから家族や友人のスピーチがありますが、その間、音楽は流れません。スピーチの間、音楽が聞こえなくなってしまうからです。音楽はおじいちゃんが選びました。スピーチとスピーチの間にその音楽を流しますので、皆さん、聞いてください」

バッハ、ビバルディ、ラモー、Eefje de Visser(オランダのポップ歌手)ーーハンスが選んだ曲のリストが事前に参列者に配られた。これらの曲は、晩年、目が見えなくなる中で、ハンスが何度も何度も聴いたのであろう。どれも美しくて、悲しくて、しんみりと聞き入ってしまった。

スピーチをした友人の1人はハンスの大親友で、彼の名もまたハンスといった。10代で同じ美術学校の生徒として知り合って以来60年間、ずっと親友であり続けた。彼らは決してケンカをしたり、互いを批評したりしなかったという。ハンスとハンスは2人で1人だった。別れ際にハンスはこう言ったそうだ。「僕の生涯でいちばんよかったことは君だ」。ハンスも「僕にとっても同じだ」と言ったそうだ。

友人ハンスがハンスのために描いた「ハンスの家」。葬儀の案内状の表紙に印刷されていた。

葬儀の後には、会場の後方に据えられた背の高いテーブルに飲み物とおつまみ、そして地元名物のソーセージパン(worstenbroodjes)が振舞われた。顔見知りが挨拶をし合う中で、いちばんみんなの注目を集めていたのは、昨年生まれたばかりのハンスの孫娘だった。母親に抱かれながら丸々とした新しい手を伸ばして、私のソーセージパンをつかもうとして、みんなの笑いを誘っていた。

帰りは近所に住む人たち4人と一緒に、小雨が降る中を歩いた。また1人、古いご近所さんが逝ってしまった寂しさをみんなが噛みしめているのが分かった。寂しいけれど、ハンスの人生と、その最期を祝福する気持ちにも満ちていた。「とても素敵なお別れだったね」「長くもなく短くもなく、いい式だった」「ハンスの選んだ音楽を聴けたのがよかったね」と言って、私たちは家の前の広場で分かれた。


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